バイオテクノロジー問題 安曇野の場合(1)

玉村昌代

 

 安曇野市穂高は北アルプスの麓に位置しています。

新緑の今は田んぼの水面が鏡となり残雪の山々を映し、四季それぞれに美しい景色の中でも青空を背景にしたアルプスの山容が地上と水面に対象となり圧倒されてしまいます。雪渓の雪解け水から始まる沢から流れる清流は川となりいくつもの川が合流して長野市や下流域に暮らす人々の飲料水となりやがて日本海に注ぎます。扇状地では地下に染み込み下流で湧き出てその清らかな水を利用してつ〜んと香る穂高の山葵が栽培されています。言うまでもなく上流域で汚染されればその影響は広く下流域に影響を及ぼします。その上流域である穂高にキッセイ薬品工業株式会社の第2研究所が建設されたのは今から24年前の1984年でした。(松本市に第1研究所があります。)この第2研究所においては当初、排水は近くを流れる烏川にそのまま放流すると言う今では考えられない計画だったのを当時の議員や地元の方の骨折りがあり研究所敷地内で一時処理を行い産業排水路も敷設することになったという経過がありました。

 それから4年後、私たちの地区と隣り合わせにキッセイ薬品工業中央研究所(以下、中央研究所)の建設計画問題が起きこの時から私自身も関わることになりました。一番危惧したのはバイオテクノロジーによる研究がされるのではないかと言うことでした。今までにない未知の研究分野で当時の「サイエンス」にはその恐ろしい弊害が取り上げられ、「週刊文春」では貴会による国立予防衛生研究所への反対運動が報道されていた頃でした。芝田進午先生の著作で勉強された方もありバイオテクノロジーに対する危機感がつのりました。しかも、キッセイについては以前の排水問題での不信感も残っていました。また、穂高町は当初ある会社の倉庫が建設されると説明した予定地にいつのまにかキッセイを誘致していたと言う行政に対する不信感もありました。更に、時はバブルの最盛期で安曇野は開発計画の嵐といっても過言ではありませんでした。乱開発で自然破壊の問題に加え目に見えない、匂いもない、たとえ何かしらの異変が起きてもその原因が解明されにくいバイオという分野での問題も抱えてしまったのです。しかし、子供達の将来に残すべきは公害の心配のない豊かな自然環境と考え、その為に、何が出来るのかを考え行動しました。

 この地区は大体、10軒前後の隣組から組長ほかの役員が毎年順番で選出されこの問題が起きた頃は20ほどの隣組からなる自治体組織で、自治会長始めとする全体を司る役員がまた選出されていました。中央研究所の建設問題はこの自治会と地区の有志でできた二つの団体が取り組みました。1つは問題意識を持っていた少数の男性で作った理論派の「キッセイ研究所進出問題協議会」で、もう1つは母親層に問題を投げかけてきた「穂高町の環境を考える会」でした。以下当時の経過は次のとおりです。

 

1987年         中央研究所を穂高町(現安曇野市)が誘致する。

建設予定地の自治会には説明会があったが隣接地にはなかった為当自治会で町に対して説明を求めた。

キッセイも同席しての説明会だったが1回目は何の資料も提示されず口答のみの説明で住民は納得せずその後何回か説明会が持たれた。

この中で住民の「バイオの研究をするのではないか?」という質問にキッセイは「100年先は分からないが、バイオはやりません」と繰り返しました。

自治会の臨時総会ではキッセイを信用し中央研究所建設を認める意見もあったが、住民の健康、安全と言う点においては住民の総意として建設に反対の決議にいたる。

この間、平行してそれぞれに次の行動を起こしました。

自治会      誘致しないよう町に申し入れると同時に公開質問状を提出した。

進出問題研究会  会として公開質問状の提出を繰り返した。また、反対署名500名余りを持って陳情書を町議会に提出した。建設地の整地工事が始まった時は工事差し止めの申し入れを町に提出した。

環境を考える会  生協、地区の児童会等の場所で主に母親層に広く呼びかけ勉強会を開き、また署名活動に熱心に協力した。

結果       

町        企業からの税収は大きなプラスである。公害は出さないよう協定書を交わすことで反対住民に応え誘致撤回はなかった。

自治会      法的に問題がなく、町が誘致する中でこれ以上の反対派地区が蚊帳の外に置かれてしまい不利になると考え、自治会としても協定書を交わすことになった。

有志二団体    自治会に意向を伝えながら協定書の締結に当たっては自治会として一本化し町やキッセイと対応した。

 

1988年         中央研究所稼動開始

以後協定書により年2回の環境調査(水質、煤塵、臭気)には行政の担当者と地元及び隣接する私たちの地区の住民代表が立ち会ってきました。最初の頃は、ずさんな実験動物処理や焼却炉からの異臭がありましたが指摘し、その結果かどうか分からないがマニュフェストが導入され、また焼却炉も撤去されました。

 

1998年          そして9年後今度は一番危惧していたバイオテクノロジーの導入による説明会が寝耳に水のごとく行われたのです。

 

バイオテクノロジー問題  安曇野の場合(2) 

 

前前号ではキッセイ薬品工業(株)中央研究所(以下、キッセイ)が建設されたいきさつをお話させて頂きました。

今回はその研究所に於いて、キッセイでは建設時に行わないと言っていたバイオテクノロジーによる研究を導入すると言う方向転換に地元住民がどのような対策をとったのか振り返ってみたいと思います。

 

1999.3.26                   キッセイより穂高町(現安曇野市)に「バイオテクノロジーに関する研究と開発について」申請があった。

 

7.1  バイオテクノロジー導入に関する説明会を穂高町主催で地元自治会の役員、地元町議会議員対象に行われる。

内容 キッセイよりバイオ研究の必要性、安全性についての説明が一方的に行われる。

結果 出席者だけで結論が出せる問題ではないと改めて地元住民全体を対象とした説明会を申し入れる。

 

8.8       地元住民に対する説明会が行われる。

内容 キッセイより「過去においてバイオテクノロジーの研究はやらないと言ってきたが、時代の変化でやらざるを得なくなった。」などの説明があった。

結果 出席者の総意として「バイオテクノロジーの研究はやらないことが研究所建設の条件だった以上認めるわけには行かない」と反対の意思表示をする。

 

とは言え、キッセイからの申し入れは地元の安全、安心にとって爆弾を落とされたようなもので、にわかに大問題を抱えてしまいました。

時代は官民挙げてバイオ産業に突き進み国家予算も倍増された頃で、地元で反対すればキッセイで諦めるという問題ではありませんでした。

その後の行動は以下のとおりです。

 

2000.1.22       学習会開催

「バイオテクノロジーの過去・現在・未来」

講師 名古屋大学医学部 小林邦彦さん

中立的な立場でバイオテクノロジーの基礎的知識の説明とこれからの研究にバイオが主流となりつつあり、研究社の倫理と規制を守る事により安全で効果的な開発が可能。しかし、住民と企業とで協定を結び施設に立ち入れる関係を作ることが大事。

 

2000.5.20       自治会に「バイオ研究対策委員会」が設置される。

自治会役員、顧問(地元議員)、委員 計16人で構成。

尚、地元で反対の意向は強かったのですが、安全であれば容認する、バイオは必要だとする意見の方も公平に委員となりました。

   6.10 対策委員会に於いて事前に提出した公開質問状の回答が口頭でキッセイよりあったが反感を感じるものであった。

      キッセイに対して詳細な研究内容を問い、安全性を追究する事と平行して改めて勉強会の必要を感じる。

   8.7 ビデオ学習会「科学者としてー笑顔と告発」

   8.25 対策委員会において再びキッセイとの質疑応答。

      *キッセイより「P2レベルの実験にとどめ、病原体は使用しない」と説明がある。

   9.2 キッセイ中央研究所見学会を地元の要請により実施。

   同日 第2回学習会開催

      「バイオテクノロジーと生物災害」講師 本庄重男さん

          基礎的なバイオの説明があり、それがいかに自然の進化の時間を無視した強引な技術であるか、その問題点と生物災害が広範囲で起こる可能性がありその被害回復の不可能な事、予防原則の必要性など。

 

     1回、第2回の学習会には知識と問題性を共有できるよう行政の生活環

境課の方をお招きしました。

     当時、バイオは万能の技術であるとする肯定論は容易に耳に入りましたが、危険性に関する情報はわずかで、それを知りたいと思っていました。科学者として国立感染研を告発された新井秀雄さんによる講演会が早大であると知り駆けつけたことで手掛かりができました。「科学者としてー笑顔と告発」の製作者の本田孝義さんからご紹介を頂き思い切って本庄先生にお電話で講演を依頼し快諾を頂いたときは感激しました。

  その後も疑問点などお聞きし、また、資料、書籍を教えて頂き、大きな力となって頂いている事に深く感謝申し上げます。

 

9.9  定例町議会の一般質問で「キッセイのバイオ研究について」質問があり、町長は     

「上原地区で結論が出なければ、町とキッセイで協定書を結ぶ用意がある」と答弁がありました。

それについて、後日、町長に説明を求めると「地区の意見も尊重する。地区の心配を無くしてもらうことがキッセイへの条件である。」と回答。

*地区では町に環境調査の実施を申し入れる。

 

10.27       9回対策委員会

これまでのキッセイや町との話し合いを踏まえて方向性を出す。

1、   企業秘密を主張するキッセイに対して、住民の健康、生命の安全性を観点として社内の安全委員会、緊急時の対応について説明を求める。

2、   国に規制がなく町がバイオ導入を承認しようとしている情況ではこれ以上反対するのは不利な結果になるのではないか? 安全性の確認ができる協定書を地区独自でも結ぶことが今できる最善の方策ではないか? と協定書の作成に取り組むことになりました。

  

11.19       地区臨時総会開催

経過報告、委員4名の意見発表、対策委員会としての提案を伝え、話し合う。

結果 安全性をきちんと盛り込んだ協定書を結ぶ。

   その内容については対策委員会に任せる。

 

  12.8 「環境安全協定書」締結(上原地区とキッセイ薬品工業(株))

     内容 1、目的 2、環境安全協議会 3、環境保全と安全管理体制の整備など 4、遺伝子組み換え実験内容の限定 5、排水に関わる管理 6、廃棄物処理 7、災害時の対策 8、立ち入り調査 9、苦情の処理 

10、調査及び被害補償 11、地位の継承 12、住民との対話 

13、細則 14、その他

                                      

  同日 「環境安全協定書」締結(町とキッセイ)

     内容 1、基本的責務 2、実験の範囲等 3、実験排気の処理 4、実験排水の処理 5、実験廃棄物の処理 6、遺伝子組み換え施設等の管理体制 7、緊急時の措置 8、防火対策 9、年次報告 10、環境影響調査 11、立ち入り調査 12、違反時の措置 13、被害発生時の措置 14、協議

 

   二つの協定書は内容が重複しますが、

   地区においては

   実験内容をP2以下である事と病原菌を使わない事を併記し、また、バイオ対策委

員会とキッセイとの両委員からなる安全協議会を設置しました。

 

以上の二つの協定書に沿って、以下の三つの活動を定期的に行っています。

1、安全協議会  毎年定例で8回を重ねました。

         キッセイより環境調査報告、ホームページでも得られる事業報告があり、質疑応答では分かりやすい説明を求めます。毎回議事録をキッセイより作成いただき内容を互いに確認できるようにしています。

2、環境調査   町との協定書にある排出物の調査は外部の調査会社により行われてお  

立会い   り、その際には町と地元代表が立会い、年2回実施。

3、研究所見学会 年1回地元の要請により住民の参加を得て実施。

 

バイオに関する協定書を結んで9年目になりますが、その間の出来事として

2006       キッセイ研究所内の排水を広域下水道に排出。

それまでは、敷地内で一時処理の後、産業排水路に流していたのですが、下水道が普及して下水道法により一般の下水道に排出、事前に下水処理場での水質検査があり問題はないとの結論でした。

2007       町村合併により穂高町から安曇野市になったこと、また下水道の利用により水質検査の立会いがなくなったことを受けて協定書の改定が行われ、この機会に見直しもしました。

2008       動物飼育棟が新しく建設されました。

事前に協定書によりキッセイより説明会があり、完成時には見学会が実施されました(但し、施設の消毒後は衛生管理上立ち入りできず、稼動前の見学)。

 

以上、キッセイとの関わりを書かせて頂きました。

 

 20年余りにわたる関わりの中で、キッセイは住民に対して始めは事務的手続き的な姿勢で、反対運動に怪訝な様子でしたが、私たちが地域を未来に渡って公害から守ると言う強い意志を持って話し合いを重ねていく中で「住民の理解を得る」と言う姿勢に変化してきました。

 一方、行政はそもそも誘致したと言ういきさつもあり、キッセイに対して問題意識は希薄でした。環境調査の立会いや話し合いも多々ある仕事の1つとして年間行事的に関わっているように見えます。加えて担当者が交替して行くので時に困った事も起こりますが、そういう時はすかさず対応して軌道修正します。住民の安全は行政の責務ですのできちんと話し合えば理解を示します。

 そして、住民は当初から関わってきた何名かは交替がなく年を重ねてきました。

幸い自治会の組織としてバイオ対策委員会があるので毎年自治会役員の方が自動的に兼務し一緒に一年の活動を行う事ができます。

1回の総会では活動報告もありキッセイの問題をお知らせする事もできます。しかし、バイオ対策委員会もそろそろ次の世代への引継ぎがなくてはと思うのですが積極的に関わろうとする方がいないのが困っている現状です。

バイオの問題は専門的で難しく敬遠されがちです。対策委員会としても学習会などを行い、理論的な力をつけなくてはと思いますが、それぞれの生活や事情を背負っての活動で今以上の事が難しい所です。

今は、協定書に沿った活動の中で、住民の安心と安全の為にキッセイに対して監視の目を光らせる事だと思います。

問題が生じた時は、たとえそれが素人判断の過剰反応だったとしても恥をかくことを怖れず本気で専門家であるキッセイに立ち向かう事が住民として出来ることだと思います。

 科学技術の進歩は目覚しい勢いでそれが人々に幸福をもたらしているのか? と考える余裕もなく否応なしに巻き込まれていく怖さがあります。

私はここ穂高での暮らしを夢に描いて移り住んで30年余りが経ちました。

ここで生まれ育った子供達は家を離れて独立しましたが、娘たちにとって穂高はふるさとです。

私は今もここでの暮らしに満足し、この地を大切に未来の子供たちに残したいと思っています。

 

20099.13