バイオテクノロジーの危険性

本庄重男代表幹事

《「バイオ安全研ニュースレター、No.2、1999年9月」より》


(1)メイ・ワン・ホーさんの論文の概略


メイ・ワン・ホーさんの紹介

今日は、第3世界の科学的分野のリーダーの一人である、メイ・ワン・ホーさんが中心になって書いた論文を軸にして、最近のいわゆる新興・再興感染症(emerging and re-emerging infectious diseases)の突発・流行に、はたして遺伝子組み換え・現代的なバイオテクノロジーが関係しているか、あるいは、関係しているとすればどれ位関係しているのか、という事を理論的に考察した論文を紹介したいと思います。

論文の簡単な紹介

メイ・ワン・ホーさんの論文は、国際的な科学者の共同作業で作られております。イギリス・ノルウェー・ドイツの学者達(計7名)が書き上げていて、そのリーダーがメイ・ワン・ホーさんです。『Microbial Ecology in Health and Diseases』という雑誌1998年10巻の33ページから59ページまでに小さな文字でぎっしり記載されている、かなり長大な総説論文です。私は、分子生物学の専門家というわけではないので、正直申して、読むのに大分苦労しました。

論文の構成

構成は12の章からなっておりまして、12番目は結論です。

第1章は「世界の健康危機」、第2章は「抗生物質と新興病原体」、第3章は「抗生物質耐性の起原」、つまり、病原体の中に抗生物質に耐性を持ったもの(抗生物質が効かない病原体)が出てくるわけですが、それがいったいどういう起原をもっているのだろうか、ということです。

第4章はこういった問題を理論的に考える上で、無方向性の突然変異と、一定方向性で適応的な突然変異、そういうものの絡み合い、あるいは、いったいどちらが本当なのかという極めて理論的な考察です。

第5章は「自然が行なう遺伝子工学技術と適応的突然変異」。自然が行なうというのは、人工的なバイオテクノロジーとは別に、自然界で実際には生物学的な現象として、遺伝子組み換えが起こっているということです。また、自然の遺伝子組み換えがおこるプロセスでどの程度適応的な突然変異が役割を演じているのか、ということを解説しています。

第6章は、大事なポイントなんですが、「遺伝子の水平伝達」についてです。この概念をきちんと理解する必要がありますので、後で詳しく述べます。

第7章は、水平伝達がどういうメカニズムでおこっているか、という解説です。これもこの論文の重要な部分です。

第8章は、具体的に抗生物質耐性遺伝子の水平伝達はどのように行なわれているのか、という事です。

第9章は、遺伝子の水平伝達という現象が、病気を起こす新しい細菌やウィルスの出現とどう関わっているか、あるいは、昔から知られた病原体の毒性が強まっている事とどう関わっているかという事を理論的に考察しています。

第10章は、実際に遺伝子の水平伝達というものが、近年増えているのかどうか、という話です。

第11章は「生物的封じ込め」はバイオハザード対策としておそらく無効である、という批判です。「生物的封じ込め」をふくめたバイオハザード対策が果たして有効かどうかという問題は、予研(感染研)裁判でもよく議論になっています。




(2)バイオテクノロジーに関わるキーワードの解説


さて、論文の中身に入ります前に、これからの話を理解して頂くために、少しばかりキーワードを解説しておこうと思います。

《遺伝子》

まず、遺伝子。皆さん重々ご承知かと思いますが、遺伝というのは、どんな生物でも示す本性的な現象です。簡単に言えば親の形質が子に伝わる、逆に言えば、子が親の形質をもらう、そういう現象です。こういう現象を表す物質的な実体が遺伝子という事になります。では、遺伝子は物質として何か、です。細胞の中には生命の一番基本的な中枢の構造物、つまり、核があります。さらに、その核の中に染色体という構造物があります。染色体は、タンパク質と核酸から出来ています。核酸は大きく分けてDNAとRNAと2種類ありますが、大部分の生命体、あるいは細胞では、遺伝子の実体はDNAで成り立っています。一部の生命体はRNAを遺伝子として持っているものもある、こういう事になっています。

《遺伝子の働き》

次に遺伝子の働きを説明します。
タンパク質は我々の体を構成している重要な物質で、20種類のアミノ酸で構成されています。どのアミノ酸がどんな順番でいくつ連なっているかによって、無数の種類のタンパク質ができるわけですが、どういうタンパク質を作るかを決めているのが、遺伝子の実体であるDNAです。もう少し詳しくみておきます。DNAは、3種類の物質で構成されています。糖と塩基とリン酸です。塩基は、さらにアデニン・チミン・グアニン・シトシンという4種類があり、それら4種類の塩基が3つずつの組になって、一つのアミノ酸を指定するという仕組みになっています。つまり、DNA分子中の塩基の並び順によって、アミノ酸の並び順が決まり、結果として出来上がるタンパク質の種類が決まってくる、という形になります。

《遺伝子の組み換え》

ところで、我々学生の頃は、遺伝子は不変であるというふうに習っていて、50年ぐらい前のことですが、遺伝子は変化するなんて生物学の答案で書いたら×になる、そんな時代だったんです。最近では、遺伝子はいつでも変化できるという事になっています。非常に簡単に言いますと、アミノ酸を指定している塩基の種類とか配列が変わってきてしまう、そういう事が自然界で絶えずおこっているわけです。染色体なりDNAの塩基組成に突然変異を起こすような、紫外線の照射のようなものでおこる事もありますけども、よそから他の遺伝子が飛び込んできて、本来の遺伝子があったところに居すわっちゃうとか、一緒に並んじゃうとか、そういういろんな変化があります。遺伝子組み換えと言われているのは、こういうことを言っているのです。我々の細胞を構成している、染色体の中にある遺伝子が、変わってしまう−変わる原因は色々あるわけですが−そういったことを遺伝子組み換えと簡単に言うわけです。

《ゲノム》

また、ゲノムという言葉が最近よく使われます。ゲノムというのは我々生物を構成している、色々な形質−色が黒いとか髪が薄いとか−そういう形質を決める遺伝子が人間の場合10万個位ありますが、全ての形質を発現させるためのいろんなプロセスに関わる遺伝子のワンセット、これをゲノムと言います。個々の生物体を成り立たせている遺伝情報の総体というわけです。有性生殖をする生物の場合は、体細胞のゲノムは2セット、つまり2ゲノム、精子や卵子は1ゲノムで、母親の方の1ゲノムと父親の方の1ゲノムで受精すると2ゲノムになって、それが子供の体細胞ゲノムです。

《DNA》

皆さんは、遺伝子というのは、あるいは遺伝子DNAというのは染色体上に存在しているのだということは、重々ご承知だと思います。ところが、細胞学や分子生物学等々が発展しまして、DNAというのは染色体だけではなくて、ミトコンドリアとかプラスミドというものにも乗っているのだ、あるいは、植物で言いますと葉緑体にも乗っかっているのだということが分かってきました。プラスミドというのは、細菌に存在する細胞質内の構造物で、染色体の外にありながら、遺伝子DNAを持っている、そういうものです。

《トランスポゾン》

トランスポゾンというのは、細胞の染色体の中にあるのですが、自由に動き回る遺伝子単位です。場合によっては隣の染色体に移ったり、色々移動している。また、別の個体・別の種類の生物にも転移してしまうこともある、そういう性質を持つことが段々分かってきました。

《ウィルス・ファージ》

最近では、生物界は5界に分類されています。モネラ界・原生生物界・菌類界・植物界・動物界です。モネラ界というのは、真正細菌と、進化的に言うともっと古い時代に発生したと思われる古細菌を指しています。原生生物というのは真核細胞からなりたつ単細胞の生物です。真核細胞というのは、細胞の中の核という構造物が、核膜で覆われた形になっている細胞の事です。真核細胞で成り立っている生物が真核生物で、我々ヒトもそうです。他方、原核生物というのは、核という構造物がはっきりしない、細胞質の中に染色体DNAが糸状に核様体という形で存在するものです。また、生物というのは、基本的に物質代謝を行い、自己増殖性のある細胞から成ります。ところが、こうした細胞ではない「生命体」があります。それは、ウィルスです。つまり、非細胞性の増殖単位、それがウィルスです。核酸とタンパク質だけの固まりです。動物細胞にだけ非常に親和性のあるウィルスと、植物に親和性のあるウィルス、それから細菌というモネラ界の生物に住み着くウィルスと、大きく分けてウィルスは3種類あります。細菌につくウィルスの事を別名、バクテリオファージ、簡単にはファージと言います。

《遺伝子の組み換え技術》

先程申しましたプラスミド、細菌の細胞質の中にあって、染色体DNA以外のDNAの事を言いますが、これは、こちらの細菌個体からあちらの細菌個体へ飛び移る、あるいは、全く別の種類の細菌にも移っていく、そういう性質を持っています。トランスポゾンも移動しますし、もちろん、ウィルスも移動します。こういうのを可動性の遺伝要素というふうに言っています。遺伝子の組み換え技術というのは、この生命的な原理をもっと人為的に強引に利用するというアイディアです。つまり、可動性の遺伝要素を積極的に使って、組み換えをもっと迅速に、かつ、思いも寄らない細胞同士で行なおうというのが、今日言われている人工的な遺伝子組み換え技術で、バイオテクノロジーの最大分野の技術です。

《ベクター》

ベクターというのも大事な概念です。ベクターというのは運び屋という意味です。どういう事かと言いますと、例えば、人間の目の瞳孔を黒くする遺伝子が仮にあるとすれば、それをブタならブタに導入してみようという時に−もちろん黒くする遺伝子を単離してじかに相手の細胞核に入れちゃおうということも出来なくはないのですが−目的の遺伝子を運ぶベクターを人工的に作る、そうすることによって、うまく目的とする細胞に移してやる。そして、この人工的ベクターとしてウィルスだとかプラスミドだとかトランスポゾンといった可動性遺伝要素を積極的に活用しようというアイディアがバイオテクノロジーの重大なポイントです。

次に、形質転換と形質導入と接合について説明します。

《形質転換》

実際に組み換えを起こすメカニズムを、特に細菌のレベルで考えてみますと、この3種類に大別されます。大雑把に言いますが、まず、形質転換というのは、例えばある細胞を形質転換させようという時には、目的とする遺伝子を丸ごとか、あるいは遺伝子の塩基配列のある断片をじかに細胞に入れてしまう。人工的に入れることできますが、自然界でも行なわれています。それで、受け手の細胞の性質を変えちゃう、この事をトランスフォーメーション、形質転換と言います。

《形質導入》

もう一つは、先程申しました、ベクター(運び屋)を使って、例えば改造したウィルスを使うとかファージを使うとかトランスポゾンを使うとか、そういうかっこうで意図的に細胞に目的遺伝子を入れてやる、これが形質導入です。トランスダクション、こういうふうに言います。もちろん、自然でも行われています。また、バイオテクノロジーの成否は 人工的に強力なベクターを作ることにかかっていると言えます。

《接合》

それから、接合によっても遺伝子の組み換えが行なわれています。これは、皆さん一番ご承知の例は、有性生物での受精の現象です。精子という細胞と、卵子という細胞が接合、合体して精子の持っている遺伝情報が、卵子に移入されるということです。細菌は通常、一個の細菌が分裂するという形で増えて行くと考えられていました。ところが、細菌にも雄と雌があり、接合という現象がよくおこります。細菌Aと細菌Bが接合して、Aの方からBの方に向かって自分の持っている遺伝子が伝えられる、あるいはその逆というわけです。また、異種の細菌どうしでも接合は行われます。

このように、遺伝子の伝達・組み換えというのは、自然界では形質転換・形質導入および接合というメカニズムでおこっています。それを、ベクターなどを設計・製作・改良して使い、人工的に格段に効率よく行うというのが、バイオテクノロジーのエッセンス、というふうに言えると思います。

長くなりましたが、以上でキーワードの説明を終わります。




(3)バイオテクノロジーの危険性


次に論文の内容について説明します。

抗生物質への耐性

まず、「世界の健康」という章です。この著者達は、感染症を治療する時によく使われるいろんな種類の抗生物質、それが使ってるうちに段々効かなくなってくる、つまり抵抗性になる、言い方を変えれば病原体が抗生物質に耐性を持つ、そういった傾向は近年増えているかどうかという問題提起をしています。それで、調べてみますと、確かに近年増えている。具体的に言いますと、ペニシリンとかアンピシリンの耐性というのは、1952年位にはほとんど0%だったのが、1992年には検出される細菌で95%以上が耐性という結果が認められているのです。また、感染症の増え方というのを見てみますと、病原生大腸菌O-157による食中毒はここ数年の間にイギリスのウェールズでは以前に比べて、10倍位の発生頻度があり、スコットランドでは100倍位に増えたというような疫学的調査もあるということで、確かに増えているのではないか、というような事などが書かれています。

新興・再興感染症

さらに、抗生物質への耐性という事だけではなくて、今まであまり問題にならなかった新しい種類の病気が出てきています。一つには、古い感染病が再興していることがありますし、新しい今まで知られていなかったウィルスによる疾患が増えているという事があります。具体的には、最近の例で言いますと、ヘンドラウィルスというのがあります。これは、マレーシアでブタやヒトに脳炎症状を起こす病気が発生し、最初は日本脳炎じゃないかと疑われていたのですが、どうも違う。そして、感染経路はブタから人間らしいという事が分かり、ウィルスが99年の3月に見つかって、色々調べてみたんです。すると、94年に発見されていた、馬に呼吸器症状を起こし人間にも感染するモービリウィルス(最近ではヘンドラウィルスと呼ぶ)と同じではないかという事になったんです。しかし、さらに調べてみると、このマレーシアのブタから見つかったウィルスは、ヘンドラウィルスと似ているけれども、抗原構造がちょっと違うとか色々違いもあって、ニッパウィルスという名前になりました。

このように、確かに新興・再興感染症が広がっているという事は、皆さんも新聞の情報などで生活の中で実感してらっしゃるんじゃないかと思います。そうすると、再興に関わる要因とか、あるいは新興感染症が発生する要因は何だろうかという疑問を持つと思います。そこで、メイ・ワン・ホーさん達もよく言われている7つの要因を列記していますが、さらにもう一つバイオテクノロジーによる産物が新しい病気を発生させたり、再興感染症の激しい流行に関係があるのではないかという仮説を提起しています。

病原性大腸菌O-157

例えば、病原性大腸菌O-157の例をみてみます。その際にもう一つみておくべき細菌があります。それは、赤痢菌です。赤痢菌は実は何種類もあるんですが、その中に志賀赤痢菌という、日本の志賀潔博士が発見した赤痢菌があります。この志賀赤痢菌がなぜ有名かと言いますと、ものすごい出血性の下痢を起こす、場合によっては腎不全や脳炎症状を起こす可能性もある細菌なんです。こういう病気を起こすには、菌が菌体の外に毒素を出す事も分かっています。実は、最近分かったことは、病原性大腸菌O-157というのは、志賀赤痢菌が持っている毒素と同じ毒素を分泌するという事です。今まで大腸菌は、強力な毒素、つまり、腎臓をやっつけたり、脳炎症状まで起こしてしまうような毒素を産生するようなことなどなかったのに、突然ここ数年来強力な毒素を産生するような大腸菌が現れたというのは、どうみても元々あった赤痢菌の毒素遺伝子が大腸菌に移ったんじゃないか、と推測せざるをえなくなる。事実、志賀赤痢菌の毒素のアミノ酸配列と病原性大腸菌O-157が持っているベロ毒素のアミノ酸配列とは、非常に相同性が高い。また、志賀赤痢菌とO-157の毒素を作り出している遺伝子を取り出して、塩基配列を調べてみると、ほとんど100%同じだという事が分かりました。ということは、遺伝子水平伝達、つまり大腸菌O-157には志賀赤痢菌の毒素の遺伝子が、どういうメカニズムかは分かりませんが、伝わったのではないか。形質導入で伝わったか、形質転換で伝わったか、あるいは接合で伝わったはわかりませんが、こういう事がどこかであったんじゃないか、という事になります。

遺伝子の水平伝達

遺伝というのは形質が親から子に伝わり、子から孫に伝わるということですから、遺伝子は本来的には垂直伝達する性質のものです。しかし、最近になって水平伝達ということが考えられるようになってきました。遺伝子の水平伝達とは、同種の異個体間とか、異種の生物個体間、例えば、バクテリアから人や別の動物へ、植物から動物へというように遺伝子が伝達することです。英語で言いますと、Horizontal Gene Transferですが、Horizontal Geneという遺伝子があるわけではないので、私は訳す時は「遺伝子の水平伝達」とした方がいいと思います。英語を文字通り訳しますと「水平遺伝子伝達」となりますから、そうしますと、「水平遺伝子」というものがあるのかという話になりますから 、あまりよくないと思います。

バイオテクノロジーというのはどういう技術か

とにかく、メイ・ワン・ホーさん達の論文が強調しているのは、バイオテクノロジーというのは、この遺伝子の水平伝達をいかに効率よく、いかに強力に進めて行くかという技術であるという点です。そうしますと、この論文に限らず、皆さんも次のように考えると思います。こういう技術が出来ちゃったら、例えばある遺伝子をAという細菌からBという細菌だけに移そうという目的を達成した以外にですね、遺伝子がAからCに非意図的に移っちゃうということも随分あるんじゃないか。その時に、移動させられた遺伝子ないし遺伝子の集団が、もし病気を起こすような病原性に関わる遺伝子であったとするとどうでしょうか。また、病原体を野外の開放系で実験するような人は、まずいないと思いますけども、研究者が実験室の中で、ある病原体の毒素の遺伝子を見つけて、例えばそれを大腸菌に入れてみる実験をやって、その遺伝子だけをクローニングで殖やしていって、自分達の研究材料として大量に確保する。そして、その研究者がたまたま何かのミスをして、それを外に漏らしたり、持ち出してしまうという恐れもあります。その他に色々な可能性が考えられますが、そういう事によって遺伝子の水平伝達が自然界でどんどん広がっていることがあるんじゃないだろうか、というのがホーさんの推測であります。

新しいウィルスの出現とバイオテクノロジーの進展

少し論文から離れますけども、実験をやっている研究者は、自分でそんな可能性があるなんて一般には言わないでしょう。仮に自分がミスをしても、正直に世の中に告白するよりも、まず隠すと考えた方がいいと思います。ですから、いろんな意味で危険性が潜みながら、バイオテクノロジーを使った基礎研究が行なわれている事は事実です。それだけではなくて、今日ではすでに産業界で生産品として、遺伝子組み換え食品とか、遺伝子組み換えを使った薬品とかを作っていますから、そういう製造プロセスで漏れ出たような組み換え体、あるいはベクターがどんどん思わぬところに入っていっているという事が、今日では十分に考えられるわけです。ですから、遺伝子水平伝達という事に焦点を当てて、新興・再興感染症の発現をとにかく真剣に考えてみる。もし新しいウィルスが見つかったとしたら、それは過去のウィルスとの関わりや、バイオテクノロジーの進展との関わりが何かあるのではないか、そういうようなことを、遺伝子水平伝達という視点を踏まえてきちんと分析していく必要があるだろうというふうになるわけです。

土壌細菌と遺伝子の水平伝達

もう少し遺伝子の水平伝達について述べておきます。細菌から高等植物、あるいは高等植物から細菌へ起きた水平伝達として最もよく知られている例は、土壌細菌、つまり、土の中にいる細菌に関わるものです。実は人間が知っている生物というのは、動物が大体100万種類位、植物は40万から50万種類位−この中には細菌の種類も入っているんですが−になります。しかし、細菌だけを取り上げてみても、土壌や海中にいるものには知られていないものも多く、未知の生物種を数え上げたら1000万種はくだらないだろうと言われています。ですから、話がそれますが、人間から人間への遺伝子の水平伝達なんて起きないと言われるかもしれませんが、分からない微生物を介してそういうリンクが形成されてしまうかもしれないです。土壌細菌に話を戻しますと、植物にガンを発生させる、アグロバクテリウムというものが持っているTiプラスミドど同じ塩基配列が、植物のゲノム内でも発見されています。また、その逆もありえます。このTiプラスミドは、今では植物のバイオテクノロジー分野で盛んに使われているベクターの基礎になっています。

シャトルベクター

バイオテクノロジーで使われているベクターに、シャトルベクターと呼ばれるものがあります。シャトルというのは、通勤バスなどで言われる、シャトルと同じ意味です。種類の違う細胞どうし、あるいは生体どうしの間を行き来する性能を持ったベクターが人工的に色々工夫して作られています。もし、これが漏れちゃうと、行き来している性格上封じ込める事が出来なくなります。とにかく、水平伝達を担っているベクター、特にシャトルベクターのようなベクターの開発は、今日のバイオテクノロジーでは重大なポイントになっています。この事や、遺伝子の水平伝達という事から考えますと、新興・再興感染症が突発出現するメカニズムに、バイオテクノロジーも関わりがあるのではないかというふうに、当然なるわけです。

DNAは環境中で生存する

論文の11章で、「生物的封じ込め」はおそらく無効である、という事が述べられています。これに追加して、自然現象でのDNAの存続についても触れておきます。以前の考え方では、細胞は生き物だけれども、DNAは無生物であり、化学物質だから、剥き出しになって自然環境に出たら、日光に当たったり、DNAを分解する酵素も自然界にあるだろうから、分解されて無害化してしまうし、DNA自身が人に感染するような事はないとされていました。ところが、最近ではDNAが環境中で生存するという事実がたくさん証明されてきております。例えば、DNAは腸管内で消化作用に抵抗するという事も分かってきています。初期の研究では、我々が肉や野菜を食べるのは、当然そのDNAを食べる事になるけれども、DNAは我々の消化液などで消化されて、体の中に入って来ないという考え方だったのです。多くの人は今でもそう思ってるでしょうし、私もつい最近までそう思っていました。ところが、最近は、超微量のDNAを増やして検出するという新しい技術(PCR法)を使った研究が行なわれるようになって、ある学者が次のような実験を行ないました。マウスにウィルスの一種であるファージを飲ませてみて、時間を追って血液の中とか腸管の中とかをずっと調べてみる。すると、ファージのDNAがそのまま腸管を通って血液の中、特に白血球にまで入り込んでいる、さらに、肝臓とか脾臓とかそういう所まで入り込んでいる証拠が得られた。この様なことから、DNAは消化作用に抵抗する事が判明したのです。

生物的封じ込め

さて、バイオテクノロジーの安全対策でよく言われる「生物的封じ込め」について話します。簡単に言って、生物的封じ込めというのは、安全性がある程度分かっている細胞やベクターだけを使うように規制して、実験の安全を確保することです。

《大腸菌・K-12株》

例えば、大腸菌のK-12株というのがよく使われます。この株は、人間に大腸炎のような病気を起こさないものであるし、実験室である特殊な栄養を与えないと生き続けないものであるから、もし自然界に漏れ出ても自然界にはそういう栄養源はないので、K-12株は自然界では生きていけない。だから、K-12株に何か病原体の遺伝子を乗せて遺伝子組み替えのK-12株を作って、仮にそれが実験室から漏れたとしても、人に被害を与えるような事はないという前提で安全対策というのが考えられていたのです。

《エイズウィルス》

また、最近では、エイズウィルスをベクターに使うということまでやっています。エイズウィルスというのは、人のTリンパ球に非常に親和性のあるウィルスで、その細胞のDNAの中でプロウィルスとして居すわって、元からあったような顔をしています。エイズウィルスをベクターに使う場合は、増殖したり、病気を起こしたりしないような処置をして、細胞に入り込んでしまう能力に関わる部分だけは残したものを人工的に作ります。

《物理的封じ込め》

バイオハザードを防ぐ対策には、「物理的封じ込め」があります。これは、フィルターを使うとか、実験の際には安全キャビネットを使うとか、消毒をきちんとやるというような、設備およびルールです。これと「生物的封じ込め」が両立させられて、始めて安全が確保されるというわけです。

《生物的封じ込めは不十分》

ところで、先に述べたような、DNAの一部を欠落させ病原性を削ぎ落としたような微生物のゲノムを、健康な生体の細胞に入れた場合、細胞の中にヘルパー因子というものがあれば、欠落させた部分が修復されて、病原性を復活させたり、新しい病原体を作ってしまうこともあることが分かってきました。ですから、「生物的封じ込め」というのは、バイオハザード防止策としては不十分なものである、と考えられるようになってきました。

規制緩和の動きとバイオハザード防止のための安全対策

いずれにせよ、近年次々に明らかになってきた事実に目をつぶって、バイオテクノロジーを謳歌して推進する人達は、規制とか管理という事を非常に不十分にしか考えていないのです。現行の安全対策は不十分であるし、それどころか、規制を緩和しようという企みさえあります。この様な事に是非皆さんが注目して、きちんとした対策をとらせるようにしましょう、ということもこの論文には書かれています。

《英国での規制緩和の動き》

少し、具体例を述べます。英国の保健安全局が1997年6月にあるバイオハザード対策の協議文書を起草しました。それは、商業的に遺伝子組み換え体を利用する人達、あるいは実験者達が、生きたままの遺伝子組み換え体を希釈も不活化もしないで普通の液体廃棄物のように環境中に放出することを容認するような改正案だったんです。これは大変だという事で、メイ・ワン・ホーさん達は厳重に抗議したのです。

《アメリカでの規制緩和の動き》

それから、同じ年の9月にアメリカの環境保護局は、バイオテクノロジーの会社が遺伝子操作されたリゾビウム(根粒バクテリアの一種)のメリトティ菌株50万ポンドを、牧草地に蒔く前のアルファルファという牧草の種子に振りかけて、窒素効率を良くしようという計画を許可しようとしました。実は、このリゾビウムは窒素固定化酵素の産生を増す遺伝子を組み込んだだけではなくて、内部エネルギー産生を増加させる遺伝子、さらに抗生物質のストレプトマイシンとかスペクティマイシンへの耐性遺伝子というのも加えてあるものでした。この抗生物質耐性遺伝子は、目的の遺伝子が本当に届いているかどうかを確かめるための「マーカー(標識)遺伝子」として使われているものです。こういう事になりますと、抗生物質耐性遺伝子が、アルファルファを食べた牛が持っているかも知れない結核菌に入って、抗生物質耐性を獲得した結核菌が人間に感染するような事が起きると大変です。ですから、こういう計画を許可するのは非常識もはなはだしいという事を環境保護局出身官僚の一人が、インターネットを通じて異議申し立てをしました。言わば勇気ある内部告発をしたわけです。

《マーカー遺伝子》

付け加えますと、先に述べたマーカー遺伝子として、抗生物質耐性遺伝子というものがバイオテクノロジーの中でよく使われています。どういう事かと言いますと、抗生物質耐性遺伝子を目的とする遺伝子と一緒に細胞に入れます。そして、抗生物質を加えた培地で培養します。そうしますと、目的とする遺伝子が入っていない細胞には、当然、抗生物質耐性遺伝子も入っていませんから、こういう細胞は抗生物質を加えた培地では生きていけない事になります。逆に言いますと、目的とした遺伝子が入った細胞は、こういう培地でも生きていますので、目的遺伝子が入った細胞とそうでないものとをよりわけることができるわけです。ですから、病原体が抗生物質耐性を獲得していったのは、抗生物質の濫用に原因があると言われていたのですが、バイオテクノロジーの中で今言いましたような技術が使われている事を考えますと、バイオテクノロジーそのものも、病原体に抗生物質耐性を広げているのではないかと考えられると、指摘されています。

結語

上に述べてきましたように、現在の分子生物学の発展を踏まえたメイ・ワン・ホーさん達の論文は、バイオテクノロジーの急激な広がりを前にして、組み換えられた遺伝子、あるいは抗生物質耐性遺伝子や病原遺伝子が水平伝達する事によって、いわゆる新興・再興感染症の突発出現を含む非常にいろんな危険を起こしているという、バイオテクノロジーが持つ潜在的な危険性を理論的に明確に指摘した論文であります。

分かりづらい部分もあったかと思いますが、本日の講演を終わらせて頂きます。


(次に、出席者との質疑応答に移った。ここでは、その一部を掲載します。)

質問;バイオテクノロジーを行なっている人達は、遺伝子組み換えというのは、自然界でも起きている現象だから、問題がないという言い方をしますが、違いは本当にないのでしょうか。

答え;違いはあるとみるべきです。普通、外から入ってきた遺伝子を排除しようという働きを自然界は持っています。これが「種の障壁」というものです。この障壁を超える・破るように人工的に開発されたベクターを使うのがバイオテクノロジーです。この事はよく考えておかないといけないです。

質問;自然に起きる遺伝子の水平伝達は、やはり何らかの法則があって、未知数の部分が多いのじゃないでしょうか。

答え;正にそうだと思います。

質問;ペストもスペイン風邪も自然に起きた細菌の変異ですね。ですから、自然に起きる遺伝子の組み換えにも、危険性はあると思います。

答え;そう思います。最近では、コレラ菌にもそういう例がありました。しかし、それにもバイオテクノロジーが何らかの関わりを持っているかもしれません。

質問;遺伝子組み換えの実験では、DNAをバラバラにしますから、かなり小さくなったDNAがフィルターでは捕捉されずに、施設外へ出て来てるのではないでしょうか。1990年代の始め、イギリスの保健安全局の報告では、エイズウィルスを扱うより、裸のDNAを扱うことの方がより危険だ、とありますので、発癌性を含め、施設外へ出たDNAが環境を破壊する事もあるのではないでしょうか。

答え;そういう事も考えなきゃいけないと思います。細胞外へ放出された裸のDNAや染色体DNAは、どの環境にも存在する固形粒子に吸着して生存し続けるのが普通のようです。また、DNAではありませんが、大腸菌K-12株も、実験用の白衣についた形で20日経っても残っていた、という事も書いてあります。


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