■科学者として                               

新井秀雄(代表幹事)

 

癌治療を目指す「ウイルス療法」について

 

 宿主の細胞に侵入感染したウイルスは、宿主細胞の核酸合成や蛋白合成機能を使って自己を複製増殖させ、ついには宿主細胞を破壊して周辺の細胞へ感染拡大する。この間に引き起こされた宿主の免疫機構は、ウイルス感染増殖を阻止するように働くようになる。そこで、癌細胞だけに選択的に侵入感染して細胞破壊するが、癌細胞以外の生体の正常な細胞には侵入感染しないウイルス、つまり癌細胞にのみ侵入感染して限局的に癌細胞だけを破壊するが、生体には病原性を示さないウイルスが得られれば癌治療の有効な手段になることが期待される。oncolytic virus therapy (腫瘍溶解性ウイルス療法、以下「ウイルス療法」と略称)といわれるこの治療法が、「癌の三大治療法」である外科療法、(抗癌剤)化学療法、放射線治療に加えられるかもしれない第4の治療法として現在世界中で各種のウイルスについて開発実用化が急がれている。

1991年に米国の科学雑誌にMartuzaらの研究報告が掲載された(Science 252: 854-856, 1991)。これをきっかけにして、国内でも名古屋大学グループなどの研究が展開され、日本ウイルス学会機関誌の「ウイルス」(第57巻 第1号 2007年)に「5. 単純ヘルペスウイルスを利用した癌に対するウイルス療法」(シンポジウム「ウイルスを利用する」)として総説されている(以下のホームページで見られる)ので参照されたい。

http://jsv.umin.jp/journal/v57-1pdf/virus57-1_057-066.pdf

今年の8月には、脳外科の臨床医であって「ウイルス療法」の基礎研究に従事している研究者が一般向けの本を出版した(「最新型ウイルスでがんを滅ぼす」藤堂具紀、文春新書)。Martuzaの所で研修され、現在は東大医科研で臨床医として、また基礎研究者として引き続き「ウイルス療法」の研究開発をしている。著者が開発した単純ヘルペスウイルスI型に3つの遺伝子操作を行なって作成したウイルス株が「副作用も後遺症もない革命的ながん治療」の候補ウイルスとして期待できると自信に満ちた主張がなされている。そこでなされた3つの遺伝子操作は、いずれもウイルスの遺伝子の一部を欠損させることで作成したものであり、従って元ウイルスのヒトに対する病原性は弱くなることはあっても強くなることはありえないと言う。ところが、この3箇所の欠損化ウイルスに対して、さらに「インターロイキン12」という生体の免疫を刺激して免疫機能を高めるタンパク質を産生させる遺伝子を組み込み付加したウイルス株が、動物実験で静脈投与による癌治療にも多大な効果を確認できたことから、今後の「ウイルス療法」に有用なものになるはずであると言う。しかし、免疫に係わるタンパク質(サイトカイン)を遺伝子操作によって導入する場合には、とくに予期しない副作用が起こりうる懸念があり、くれぐれも慎重な検討が望まれる。製品として実用化されるかどうか、今しばらく待つことになる。


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