本庄重男著『バイオハザード原論』(緑風出版)

 

獣医学研究者としての経験と市民科学者としての実践に裏打ちされた

 

我が国初の本格的な「バイオハザード論」

 

長島 功

 

 本書は、バイオハザードの定義から始まり、その具体例及び予防へ向けての今後の運動のあり方まで、およそバイオハザードについて論じる際に必要な全てを網羅しながら、冗長になることなく簡潔にまとめた好著であると言えよう。さらに特徴的なのは、本書に見られる議論や主張が著者自身のこれまでの人生の経験を踏まえものである点で非常に説得力があることである。

 

次に本書の内容を紹介しながら、筆者の感想を逐次述べていくことにする。

 

序章の「バイオハザード事始め」では、著者が感染研の前身の予研で当時大流行し始めたポリオ予防のためのサルによる実験から「バイオハザード」という言葉をはじめて知った経緯が述べられている。ここで印象的なのは、著者自身がバイオハザードを経験したと述べられていることである。しかも、実験中に感染しないように用心に用心を重ねながらも気付かないうちに感染してしまったとのことで、バイオハザードの怖さがよく伝わってくる。

 

第1章の「バイオハザードとはなにか」は、まさに「バイオハザード原論」の中核をなす部分であり、バイオハザード概念の変遷からバイオハザードの特性やその現在における様相に至るまで、バイオハザードの概念の全体像が描かれている。ここで興味深いのは、最近頻繁に用いられている「バイオセーフティ」という言葉についての著者の批判である。

著者によると、この言葉は「バイオハザード」の対概念としてバイオテクノロジーの推進者側が使い始めたものである。言わば、バイオハザードの危険について市民の目をくらますために発明されたわけである。それは、周辺住民にとって危険なP4施設をこともあろうに「高度安全実験室」と呼んで市民の目をたぶらかそうとした予研幹部の姑息な態度といかにも類似しているという。

 

第2章の「バイオテクノロジーとバイオハザード」では、バイオハザードがバイオテクノロジーという技術に固有なものである点が幾つかの科学的な証拠を挙げて示されている。すなわち、
@バイオテクノロジーが推進側の主張に反して、伝統的な育種等の従来の生物技術と本質的に異なる技術であること、
A近年明らかにされた裸の
DNAの生物活性とその環境内での生存ならびに自然界での遺伝子の水平伝達という現象、
Bバイオテクノロジーがこの危険な裸の
DNAを環境に排出すること、
Cバイオテクノロジーが遺伝子の水平伝達を人工的に強引に促進して未知の遺伝子組換え病原体をつくり出してしまう可能性等が欧米の専門論文を幾つも参照して見事に明らかにされており、そこには著者の科学者として緻密な観察眼がよく示されている。欲を言えば、バイオテクノロジーが従来の生物技術と異なる点についてもう少し突っ込んだ議論がなされていればと思われる。この点については、『技術と人間』掲載の著者の論文を参照してほしい。

 

第3章の「バイオハザードの具体例」では、バイオハザードの具体例として、
@旧ソ連のスヴェルドロフスク市の生物兵器研究施設からの地域への病原体排出事故、
A遺伝子組換え技術を用いて製造された健康食品トリプトファンの健康被害(どちらの事件でも多数の死者が出ている)、
Bマウスの避妊を目的として遺伝子組換えの手法を用いてワクチンを作成する過程で予想外の致死性のウィルスが産生されたこと(これが悪用されて生物兵器に利用される危険性を著者は念頭に置いているものと思われる)、
C昨年にアジア各地で流行した
SARSの原因として遺伝子組換え技術で非意図的に作成された組換えウィルスがバイオ施設から漏れたことが考えられること、
D米軍の生物兵器センターで人的なミスかまたは施設トラブルによって炭そ菌が漏出としたことが挙げられている。これらの具体例は、まさに第2章で示されたバイオハザードの様相(特にバイオ施設それ自体の危険性)と第3章で明らかにされたバイオテクノロジー(特に遺伝子組換え技術を用いる遺伝子工学)の危険性を如実に示すものとなっている。

 

第4章「わが国におけるバイオハザード対策の問題点」においては、著者は、冒頭でわが国に病原体を管理する法律やバイオ施設の設置に関する法律がないことを憂慮し、早急に法制化する必要を訴えている。なぜなら、このような法律の不備のために、オウム真理教による炭そ菌・ボツリヌス菌ばら撒き事件や警察権力を用いた予研=感染研の住宅地への強行移転等の住民を危険にさらす事件が起きているからである。

また、人獣共通感染症(動物由来感染症)に対する施策がなされる(感染症新法の制定)まで数十年を要したことから分かるように、官僚の怠慢や研究者側の腰の重さがまだ克服されていないのが日本の現状であるが、この点についても著者の批判の目は鋭い。

さらに、各種のバイオテクノロジーを用いた製品(生物製剤―ワクチン等―、医薬品、飼料、食品、)の「安全性・有効性は存在しない」し、まして組換え製品の「生態系への影響についての組織だった基礎調査もいまだ行われていない。」この点についての著者の指摘に政府や官僚たちも耳を傾けてほしいものである。

 

第5章「今後のバイオハザード予防のあり方」では、著者は実に示唆に富む議論を展開している。病原体管理法とバイオ施設規制法の必要性の理由として、
@病原体の出現や未知の感染症流行を事前に察知し、防御することは困難であること、
Aどんなに高度な安全対策を講じても病原体のバイオ施設からの漏出は防ぎようがないことが指摘される。

また、バイオ研究の規制と研究者の自由の問題に関しては、「研究の自由の名において」行う実験がバイオハザードを発生させてしまった場合に(実際にありうると著者は考えている)、研究当事者が免責されることは容認できないという観点から、研究を一定程度法規制することはやむをえないと述べている。昨今では、わが国でも、またドイツやアメリカでも、研究の自由を盾に法律によるいかなる研究の規制にも強行に反対する科学者たちがいるが、彼らには是非とも本書を読んでほしいものである。

また、法の制定過程での市民参加にも言及され、制定後の市民による監視を提言されている。さらに、著者は、科学が技術化して、科学技術立国が叫ばれている時勢の中で研究者たちがとるべき姿勢―研究費ほしさに「主流」の研究に乗っかり、個性のない研究に走るか(その結果は「科学や技術の多様性」の消滅である)、それとも、「市民と連帯して自分の研究者としての生涯を人々の幸せのために捧げようと願って努力する」のか―について鋭く問う。そうした市民科学者に取り組んでほしい研究課題として、著者は「排気中の病原体の」「検出方法の開発・改良」を挙げている。

次に、著者は市民監視体制の確立の必要性に言及し、
@バイオハザード問題への対応を自治体の条例に盛り込むようにすること、
A病原体の漏出の点検結果を市民に公表すること、
B施設の立ち入り検査を行うこと、
C施設側の実験計画を公表すること(また企業秘密に制限を設けること)、
D市民と自治体と施設当事者殻なる三者会談を設けることを提言している。

最後に、
SARSを例に「バイオハザード予防の視点」を提示している。つまり、SARS問題をバイオハザードの典型例として捉えているわけである。その理由は、SARSがバイオテクノロジーの産物である可能性を否定することは出来ないからである。それゆえ、
@病原体実験施設が新たな感染源とならないように予防措置をとること、
A施設からの病原体の漏出を日常的に行う体制を確立すること、
B病原体管理法とバイオ施設規制法を制定することの必要性を著者は訴えている。

 

以上、各章の内容を紹介しながら、著者の論点を紹介してきたが、その主張は、著者の数十年にわたる獣医学研究者としての経験と十余年にわたる市民科学者としての実践に裏打ちされているので、きわめて説得力あるものとなっている。是非全国の科学研究者に一読してもらいたいものである。さらに、バイオハザードと言えば欧米の人々は生物兵器しか念頭になく、従って生物兵器による以外のバイオハザードに関して包括的に論じた書物は国際的にも他にない現状を考えると、是非とも本書は英訳出版すべきであろう。それほど価値のある書物であると筆者は思う。

(2004年10月18日記)

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