ドイツの「遺伝子工学法」

(1990年7月1日発効)



長島 功



<概要>

(1)目的 この法律の目的は、@遺伝子工学から生じる危険から人の健康と環境を守り、A適切な研究・開発とバイオテクノロジーの利用と促進のために法的な枠組みを確立することである。

(2)規制の対象
 研究と生産のために遺伝子操作作業(最初の活動と継続の活動を含む)が実行される施設

(3)封じ込めレベル
 遺伝子組み換え実験施設で行われる活動はそれに伴うリスクの程度によって4段階の封じ込めレベルに分類される。レベル1に分類される活動は人の健康と環境へのいかなるリスクも伴なわない。レベル2に分類される活動は低度のリスクを伴う。レベル3に分類される活動は中程度のリスクを伴う。レベル4に分類される活動は高いリスクを伴う。

(4)認可
 実験施設の建設と操業には認可が必要であり、それによって同時にある種の活動を行う権限が与えられる。封じ込めレベル1の研究活動が行われる実験施設は例外である。それは届出だけが必要である。

(5)実験作業の記録
 事業者は行われた作業を記録しなければならない。認可ないしは届出された実験施設で行われる継続活動の場合には、以下の追加条項が適用される。
(a) 研究活動の追加の場合:レベル2から4までは届出の義務
(b) 商業活動の追加の場合:レベル1の場合は届出の義務、それ以外のレベルの場合は認可が必要
(c) 例外:追加される活動が以前の作業より高い封じ込めレベルを必要とする場合には、新たに実験施設の認可が必要とされる。

(6)認可の所管当局
 実験による排出(すなわち、遺伝子組換え生物の環境への意図的な放出)は連邦保健省の認可を必要とする。

(7)バイオセーフティ中央委員会
 バイオセーフティ中央委員会は、連邦保健局の専門家委員会として、安全性に関する問題、特に封じ込めレベルによる計画された活動の分類ならびに排出に伴うリスクに関して専門的な意見を出すことを委託されている。委員会は10名の専門家ならびに職業上の安全性、労働組合、産業界、環境保護及び研究支援組織からの5名の有能な委員から構成される。

(8)公衆の参加
 商業活動の遂行が予想される遺伝子組換え実験施設の建設の前に協議手続きへ公衆が参加することが条項で定められる。公衆参加の形態は公聴会である.レベル1の活動の場合には、連邦排出規正法のもとで公衆の参加を伴う認可が必要な場合に限る。

(9)本法律は、遺伝子操作によって引き起こされた生物の性質の結果として第三者が被害を被った場合には、事業者の絶対的な責任(すなわち、過失の有無にかかわりのない責任)を条項によって定める。絶対的な責任の限度は最大で1億6千万ドイツマルクである(事業者に過失がある場合には、責任は無制限である)。

<考察>

 従来、西ドイツでは、バイオ施設は保健省に設けられた「バイオセーフティ中央委員会」の監督のもとで、「遺伝子組み換えガイドライン」に従えばよいとされてきた。

 ところが、1988年に「連邦公害法」の改正で連邦議会が遺伝子組み換え実験施設の認可条件として市民参加による規制を法的に規定した。しかし、同年に改正された「連邦イミッション法」の改正により、遺伝子組み換え実験施設の建設予定地付近住民の異議申し立てにより住民側との協議会を持つことが不要となり、実質上の規制緩和が行われた。その後、住民の反対により、いくつかのバイオ施設の建設計画が中止されたり、あるいは建設前に詳細なアセスメントの発表が約束されたりした。また、長年にあたり遺伝子組み換えの危険性が科学者、住民から指摘され、その結果、政府は1990年3月に開かれた連邦議会で「遺伝子工学基本法」を採択した。

 この法律は「市民からの遺伝子工学保護法」とでもいうべきもので、安全基準を規定せず、認可条件のうちに住民の同意を含めていない。このような基本的な欠陥以外に以下のような問題点がある。

(1) この法律の目的は、遺伝子工学の危険から人間の健康と環境を保護するのみでなく、同時に遺伝子工学の発展と利用を可能にし、促進することにある。(第1条)

(2) 包括的な安全対策については、「バイオセーフティ中央委員会」がベルリン保健省とともに全てを決定する。技術的な細部と監督については、保健省は連邦の各州の官庁にゆだねるものとしている。すなわち、認可権が連邦と州の間で分裂しているのである。

(3) P2,3,4の遺伝子工学施設の建設計画についての住民参加は、事前に公聴会を開くという形態でしか認められていない。(第18条)最終的にはP2以上の施設は連邦保健省によって認可され、P1での遺伝子組み換え実験は州の認可だけで可能とされている。さらに、第23条で「公聴手続きが実施されている遺伝子工学施設または遺伝子工学上の作業の停止あるいは放出の中止をもとめることはできない」と規定して、差し止め請求権を排除している。また、すでに「遺伝子工学ガイドライン」に基づいて登録された遺伝子工学実験室内で実施することが許容されいるものについては、その届出はすでに行われたものとみなされ、また、その許可はすでに与えられた」ものとみなされている。したがって、既存の遺伝子組み換え実験施設での実験の差し止め請求権も排除されている。これは、第1条で規定された同法の第1の目的である住民の健康の保護よりも遺伝子工学の発展と促進を優先するものであり、容認できない。

(4) 「バイオセーフティ中央委員会」の構成―10名の専門家と労働組合、労働安全、経済界、環境保護及び研究助成機関から各1名の計15名からなるが、住民や遺伝子組み換えに批判的な人々の代表が排除されており、しかも専門家のうち6人は遺伝子組み換え実 験に従事している者でなければならない。

(5) 事故が起きた場合の被害者の情報請求権が制限されているーすなわち、第35条第1項で経営者は被害者の請求に基づき「遺伝子工学施設内で実施された作業または放出の基礎にある遺伝子工学上の作業の種類と経過に関する情報を提供する義務を負う」と規定されているが、同条第3項で「秘密にすることが経営者または第三者の優越的な利益に合致する範囲では」情報請求権は生じないとされ、事実上企業秘密の保護を認めている。

(6) 以上のような結果、結局、遺伝子組み換え微生物の環境への放出は当局によって認可される。したがって、環境保護は全く考慮されていないといわなければならない。

 このように、同法は人間の健康と環境保護の視点から言えば不十分な点をいくつか含んでいるが、評価すべき点も散見されるので、以下に列挙する。

(1) 遺伝子組み換え実験を行う者に「実験に結びついた危険性を予め包括的に評価」するという危険のリスク評価を義務付けたこと。(第6条第1項)

(2) 公聴手続きの際に経営者に「いかなる範囲で遺伝子工学上の作業の影響を受ける可能性があるかを第三者が判断できるように、資料の内容を詳細に示す」ことを義務付けたこと。

(3) 所轄行政庁は「新たな事実や証拠資料により人の健康や環境に対する危険を疑うべき正当な理由がある場合には、許可されて流通に置かれた遺伝子操作された生物を含む製造物または遺伝子操作された生物からなる製造物の販売を部分的にまたは全面的に禁止することができる」〔第26条第4項〕という権限を有していること。また、「安全性にとって重要な既存の施設または措置がもはや十分ではない場合には」、所轄行政庁は「遺伝子工学施設の経営、遺伝子工学上の作業、放出または流通に置くことを全面的にまたは部分的に禁止することができる」と規定していること。その他、査察が制度化され、罰則が設けられている。この点においては、同法は、人間の健康の保護を優先し、遺伝子工学の規制を必要と認めていると判断できる。

 以上の記述から分かるように、同法においては、住民の参加が公聴会の事前の実施という形態に制限され、一切の決定が保健省によって下され、「バイオセーフティ中央委員会」が全く独立の機能を持たない。このような結果、同法においては、結局は、人間の健康と環境の保護よりも遺伝子工学の発展と促進が優先されていると言わざるをえない。

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