■科学者として                                                              

新井秀雄(代表幹事)

 

ヒトから分離されたカルディオウイルス(Cardioviruses

 

911日付のProMED(電子メールによる感染症情報)に載った米国からの情報の要約です。

ピコルナウイルスに属するカルディオウイルスは、齧歯類に重篤な感染を引き起こすが、ヒトでの流行状況、ウイルス多様性、病態などほとんど知られていない。1981年発熱した乳児の糞便から一つのカルディオウイルス(Saffold virus)が分離されて培養されていた。またシベリアでヒトから分離された例があった。今回、一群のヒトカルディオウイルスがインフルエンザ様症状の小児の呼吸器分泌物材料からウイルスが直接クローン化された。その方法は数年前のSARS(重症急性呼吸器症候群)のウイルス探索・解析で威力を発揮したものという。ほぼ全領域のウイルス遺伝子解析によって、このウイルスがこれまでに 知られていたマウス脳脊髄炎ウイルス(TMEV)の亜群に属し、以前に分離されていたSaffold virusに近いという。

次いで、この情報に基づいたポリメラーゼ連鎖反応(PCR)を使って急性呼吸器疾患患者(719名)、および各種神経疾患(無菌性髄膜炎、脳炎、多発性硬化症)の患者(400名)の呼吸器材料を検査したがカルディオウイルスは分離されなかった。ところが、胃腸炎患者集団(498名)の糞便検査(751検体)によって6個(1.2%)ものカルディオウイルスが分離された。遺伝子の系統発生学的解析で明らかな多様性が認められた。この結果は、ヒトの新しいカルディオウイルス(TMEV類似の)の一群が存在すること、それが胃腸管にみられること、無症候に隠れて、または腸管の疾患に潜在的に関与している可能性を示唆しているという。

続いて翌日(9月12日)のProMEDメールによって、ヒトのカルディオウイルスがドイツ、ブラジルでも6歳以下の胃腸炎患者から分離されていることが報道され、この種類のヒトのカルディオウイルスがグローバルな広がりを持つ可能性が示唆された。

病態との関係や病原性、またはウイルスの由来などの解析は、今後世界中で急速になされることと思われる。

 

CDCの関連記事があります。

http://www.pnas.org/content/early/2008/09/02/0805968105.full.pdf+html

ピコルナウイルスは、http://jsv.umin.jp/journal/v52-1pdf/virus52-1_001-005.pdfに総説があります。

 

 

 


■科学者として                                 

                                                                       新井秀雄(代表幹事)

 

H1N1豚インフルエンザウイルス騒動

 

 4月半ば過ぎに、米国のカルフォルニアとテキサスでH1N1豚インフルエンザウイルスに似たウイルスに子ども2人が罹患したとの報告がでた後、同月下旬になってメキシコで死者が瞬く間に60名を超えさらに急増する事態の報道が世界を駆け巡った。

 その後、当初混乱していたメキシコでの事態は、実験室で確定されたものが統計されるようになり、その結果、メキシコ、米国、カナダで患者発生が多く、死亡者数もこの順で推移してきた。その後の確定件数は米国が最多となり、523日でのWHOの統計では、世界で43カ国、12022名の患者(メキシコ3892名、米国6552名、カナダ719名、日本321名)死亡者86名(メキシコ75名、米国9名、カナダ、コスタリカ各1名)となっている。

 当初メキシコでの事態から懸念された強い病原性は否定され、例年のインフルエンザ(季節性インフルエンザ)流行と特に変わることのない弱病原性のものであるとされたが、一方で人から人へ感染する力(感染性)が強いとの報道もなされている。しかし、毎年の季節性インフルエンザに比べて特に感染性が強力かどうかの根拠は明確でない。

 病原性が例年の季節性インフルエンザ並みであることが判った時点で、特別な対策は不必要となったはずであるが、海外からの人による持込を水際で防ぐ成田、関空等の検疫システムが実際の防疫に有効でないことがはっきりした。

 それまで、主として東南アジアでの高病原性鳥インフルエンザH5N1ウイルスに人が感染し、死亡する事例が報道されており、このウイルスによる人から人へ感染が流行するようになることが懸念されていたが、今回の豚インフルエンザウイルス騒動の陰に隠れてしまったかのようである。エジプトでは、政府による養豚の殺処分の強行が早々と取りざたされ、養豚業者の強い抵抗にあっているとかの報道もある。高病原性H5N1鳥インフルエンザの感染例は、東南アジア以外ではエジプトでの発生例が突出しており、522日のWHO報告では74名の患者、27名の死亡者となっている。鳥と人のインフルエンザウイルスが豚の体内で組み換えを起こした結果、過去のスペイン風邪のような世界的大流行を起こした強病原性の変異ウイルスが出現したとされているが、エジプトだけでなく、東南アジア全域ないしは世界中の豚を殺処分することができるとは到底考えられない。

 今回のH1N1豚インフルエンザでは、最近の高病原性鳥インフルエンザの場合と違って、豚での感染死亡が大規模に起こっているとの報告はない。このウイルスが人-人感染の中で、あるいは人-豚感染の中で高病原性のものに変異することの可能性がないわけではないが、より一層弱毒化(弱病原性化)する方向の変異も当然可能である。

 511日、オーストラリアの研究者であるAdrian Gibbsとマスコミとのインタビューが報道された。今回流行の豚インフルエンザウイルスが人為的に実験室の中で造られたものであるとの内容であった。これに対するWHO(実質的には米国CDC)の反応は速く、わずか1週間ほどで、人造ウイルスの可能性はない(自然発生のものである)と言明した。今後の詳細発表が待たれる。このあたりのことは、乃木生薬研究所のホームページがよく収集しているので参考になる。

http://www.botanical.jp/lib_id1-090515113545.php#search_word=Gibbs

 豚インフルエンザといえば、19762月に米国ニュージャージー州にある米陸軍基地(Fort Dix)で当時19歳の兵士が感染して死亡した事例が有名である。その時の検査により、同基地で少なくとも500人以上の感染者がいることがわかり、当時のフォード大統領は保健衛生当局の勧告に従って、同年10月に全国的規模の一大予防接種プログラムを開始した。その結果、この予防接種の副作用で500人以上がギラン・バレー症候群を発症し30人以上が死亡した。ところが、結局のところは、感染は基地内にとどまり、しかも感染による死亡者は件の19歳の兵士一人だけであった。これは、1918年のスペイン風邪に匹敵する事態発生を恐れた当局の一大失策として以後に貴重な世界的教訓を遺した。しかし、にもかかわらず、来る冬のインフルエンザシーズン前には、今回は豚インフルエンザウイルス株も含めたワクチンが大量生産され、例年以上にワクチン接種が強力に勧められる可能性がある。その結果の副作用による被害は、最終的には自己責任ということになるのであろうか。http://www.wired.com/science/discoveries/news/2008/03/dayintech_0324 参照。

 疫学調査の様子が報告されはじめたが、それによると、今回は60歳代以上の高齢者での患者発生は少ないとのことで、なんらかの免疫状態が推定されている。この世代が、もっと若い世代に比べてとくにワクチン接種を頻繁に受けていたとは考えられず、自然の状態(季節性のインフルエンザに曝露されてきた結果)で獲得した免疫状態に違いない。日ごろの健康管理で自然界での事象に対する抵抗力を身につけていくことが現実的な対処となる。

                              (525日 新井秀雄)

                    


科学者として                                 

新井秀雄(代表幹事)

 

実験室での感染リスクはまず実験者自身が負って当然である

 

1975年アシロマ会議()の後、遺伝子操作実験を行うためのバイオハザード防止の施設・設備や器具の開発は実験に従事する側の緊急な利便性から考案されてきた。施設の面からみれば、その中心は「物理的封じ込め施設」(以下、封じ込め施設と略称。「生物学的封じ込め」についてはここでは触れない)であり、ヘパフィルター装着による病原体捕捉と強制排気システムにある。

 「封じ込め施設」以前のバイオ実験の基本的操作は無菌操作といわれ、それは実験野の気流を機械的に操作して実験者の感染を防止する機能は備えてないので、実験操作中に不可避的に発生したエアロゾルの直近で操作している実験者がもっとも取り扱い病原体に感染する危険性が高かった。実験終了後に、実験室の窓を開けることでエアロゾルは自然拡散して戸外へ徐々に流出し外界において主として太陽光線中の紫外線によって殺菌されることが期待されていた。従って、この無菌操作法の時代においては感染リスクの最も高かった実験者の感染をいかに防止するかが重要とされ、実験室内感染が防止されれば外界での感染は事実上問題なしと考えられていた。無菌操作時代の国立予防衛生研究所(現感染症研究所)においての実験室感染が稀ではなかったこと、その中には法定伝染病(当時)に関わるものもあったが、研究所外への影響は無視しても問題なしとされたためか所轄の保健所への届出は皆無であった。このことに、実験室感染が防止されればよしとしたこの時代のバイオハザード対応の実態が現れている。

 ヘパフィルターと封じ込め施設にみるところの、感染が広域に波及する可能性がある現在のバイオハザードの実質は、(実験者の)「安全を図る安全キャビネット」内で実験操作中に発生した病原体を含むエアロゾルを常時機械的に気流を操作することで実験者から離すことにより実験室内感染を防止する。実験者方向から安全キャビネット方向へ常時機械的に気流が流れる装置によって、実験者への暴露を忌避して集約されたエアロゾルをヘパフィルターを通過させることで病原体を捕捉(100%捕捉は不可能)した後に外界へ放出する。

この方式の導入に依って、それまで発生エアロゾルに最も濃厚に暴露されていた実験者の感染が有効に防止されるようになった。施設におけるバイオハザード防止の方策のもう一つは、P3施設(P4も)における実験室の陰圧状態保持の構造である。常時室内を陰圧に保つことで、実験室内で取り扱われる病原体が施設外に漏出することを防止する。そのために実験室が機密になるような構造にしたうえで、室内の空気を機械力によって常時排出しヘパフィルターを介して外界に放出する。安全キャビネットと実験室内の両方から機械力によって強制的に排気するシステムである。このシステムではヘパフィルターが100%病原体を捕捉できないで機械力で放出された病原体は(無菌操作時代のように)自然拡散によって徐々に外界へ放散していくのではなく、強力な排気の気流に乗って撒き散らされることになる。この強制排気システム稼働による悲惨なバイオハザード発生例が旧ソ連時代のスヴェルドロフスク市のバイオ施設において1979年に起きた炭疽菌強制排気バイオハザード事件である。

この事件は、強制排気システムの導入・稼働がなされていなければ起こり得なかったものであり、このことはその後のバイオハザード対策に大きな教訓を与えているが、残念なことに今日にいたるまでその教訓は生かされていないようである。一方でWHOは、P3施設の実験室からの排気(陰圧保持のために機密構造を保持して機械力で排気する)に関しては、実質的に無菌状態が期待できるとの判断と思われるが、この排気系途中のヘパフィルター装着は必ずしも必要としていない。ヘパフィルターの効果が過大に評価されていることは問題であるが、P3施設の室内空気が実質的に問題とならないのであれば、陰圧構造を保持する必要性もない。浸透性のない壁構造で機密が保たれているのであるから安全キャビネットから取り出した病原体材料で汚染された場合は(室内の強制排気システムが無ければ)除染操作で対処できることになる。実際には、安全キャビネットから病原体材料を取り出す際には堅牢な密閉容器に収納してから取り出すことになっているので誤って落としても直ぐに汚染が広がることにはならない。

P2施設では、ヘパフィルター装着の安全キャビネットからの排気は、そのままP2施設内へ開放されているし、室内は陰圧構造になっていない。そこで取り扱われる病原体は、万が一実験者が感染しても対処することができるし、またその病原体の種類はこれまでの経験から実験室感染の容易さがP3施設の病原体に比べて低いものである。このようにみてくると、強制排気システムの是非をもう一度考えてみる必要があるのではないか。第一に、実験者の感染リスクを強制排気システムの採用によって外部で生活する周辺住民へ転嫁する構造を周辺住民がなぜ許容しなければならないのか。実験室での感染リスクは実験者自身が負って当然であるから、実験者のレベルでの安全対策を図るべきである。そのために、ヘパフィルター装着の防護服の開発が必要であり、こうした防護服を着用した状態での消毒剤によるシャワーに耐える構造を有して、施設への入退出時に消毒する。第二に、WHOが示すようにP3施設の室内の感染リスクは実質的に低いことをかんがえれば、防護服で万一の感染を防止することで現行の強制排気システムを中止することが可能である。残る問題は、P3の安全キャビネットからの排気の処理である。安全キャビネットからの排気の少なめの風量から推定して、この場合にはヘパフィルター部分に加熱等の殺菌できる構造を導入するのが実際的な一つの方法となる。かくして殺菌された空気は施設内へ放流する、あるいは常時焼却炉が運転されている施設においては焼却炉への燃焼空気へ導入する方策も考えられる。

結論的に、本来的にはP3施設を生活圏から離して建設するべきであるが、現在すでに多くのP3施設が首都圏を初め全国の生活圏内で稼働している。そこで、現在稼働中のP3施設においては、まず強制排気システムを停止する、然る後に実験者自身の感染を防止する方策(たとえば上記の防護服)を導入することが急務である。

 

※アシロマ会議…遺伝子組換えに関するガイドラインが議論された会議。アメリカ合衆国カリフォルニア州アシロマにおいて開催されたことからこう呼ばれる。28か国から150人ほどの専門家が参加した。


科学者として                                 

新井秀雄(代表幹事)

 

多剤耐性菌

英国の医学専門誌「ランセット」(811online出版)の「Emergence of a new antibiotic resistance mechanism in India, Pakistan, and the UK :a molecular, biological, and epidemiological study」によって、通常のほとんどの抗生剤が効かない新型の多剤耐性菌による感染症の危機が懸念されている。カルバペネム抗生剤を分解する酵素NDM1New Delhi metallolactamase12009年に英国で大腸菌と肺炎桿菌中から検出、特定された)を産生する新しいタイプの多剤耐性を示す大腸菌や肺炎桿菌による感染の発生がインド、パキスタンおよび英国で増加していると報告された。英国の感染者の一部は最近インドあるいはパキスタンで美容整形手術を受けていた。この論文の研究者たちは、インドで整形手術を受ける欧米人は多いことから、NDM1が世界中に(航空機による移動)広がる恐れを危惧している。インドで医療処置を受けた人は、帰国して国内で治療を受ける際に多剤耐性菌の感染について検査を受けるべきであるという。厚労省健康局結核感染症課は、8月末に各都道府県担当部局へ注意を促す事務連絡をしたが、NDM1産生株が検出されたときの対応として、

●患者の個室管理、標準予防策、接触感染予防策の励行、他の患者への伝播を防止する感染予防対策の実施。

NDM1産生株が便、喀痰から検出されても、無症状の場合は抗菌剤による除菌は行わず、標準予防策、接触感染予防策を励行しつつ、やがて消失するのを待つ。

NDM1産生株による感染症発症患者は、患者の病状を考慮して、抗菌剤療法を含む積極的な治療を実施する。

●患者の海外渡航歴および渡航先での医療機関の受診歴を詳細に聴取する。

としている。

獨協医大病院の入院患者からNDM1遺伝子を持った大腸菌が国内で初検出されたが、インド起源と考えられているNDM1遺伝子を持った大腸菌は、別の菌から遺伝子を伝達されたと考えられている。この伝達による耐性獲得は、さらに他の細菌へ耐性遺伝子が伝達し易いので警戒が必要という。帝京大病院の多剤耐性アシネトバクターの方は、伝達によるものとは別の変異機構かもしれない。

多剤耐性の、ブドウ球菌や緑膿菌、そして大腸菌やアシネトバクターも本来の毒性(病原性)は強いものではなく、健康な人には深刻な問題ではない。しかし、基礎疾患や手術などで免疫力が落ちている人が感染すると重症化し易い。抗菌剤がいかほどに有効であったとしても、基本的には免疫力があってのことであり、院内感染(日和見感染)ではこの点が特に大きな問題となる。

新しい抗菌剤の開発は、ほぼ停止状態という。一方で、家畜の育成や養殖での抗生剤の使用規制は2006年のEU規制を別にすれば不十分であり、既存の抗生剤は今だに大量に消費されている。その中で、多剤耐性菌に感染発症した患者をどのように処置するか。「対症療法を続けながら、患者の免疫力が多剤耐性菌に打ち勝つのを待つしかない」と言われるが、上に揚げた厚労省の注意も含めて、果たして患者(免疫学的弱者)からはどのように受けとめられるだろうか。                  


  武田薬品の湘南研究所を見学して                      

新井秀雄(代表幹事)

                                    

2011220日(日)午前10時から午後3時までと企画されていた、前日に竣工した武田薬品工業の湘南研究所の見学会に参加した。

  

正門の守衛所の横に人道と車道のゲートがあり、それぞれカードによる認証システムがあるとのこと(当日は無制限の自由通過)。しかし、研究所本体の玄関にはカード認証システムは見当らなかった。また、例えば資材等の搬入ルートにおける認証システムの実態は見ることができなかった。見学者に対しては、既定の見学コースが決められており、見学コースのいたるところに武田側の係員が多数いて見学コースをガードしていた。(写真撮影も禁止されていた。)

見学箇所:玄関エントランス、保育室、展示コーナーと講堂、生化学実験室、休憩室、合成実験室、P1P2実験室、社員食道を経て退出し再び守衛所の前を通って終了。

実験室内には施設的な備え付け機器(ドラフトチャンバー、安全キャビネット、実験台、流し)はあるものの、設備的な可動機器(オートクレーブ、冷蔵庫、遠心機等)は皆無の状態であったので、実際の稼働状態を想像するのは困難であった。

居室部分にはまだ机も入っていない居室空間だけのものがほとんどであり、これも実態とは程遠かった。見学が許されたのは全体の中の極めて狭い範囲でしかなかったが、それでも建物内の規模(居室、実験室、会議室、通路等)が多くて広く、床や壁には避難経路の指示テープや標識は設置されていなかったので、緊急時の迅速な避難が困難であるような印象であった。

P1実験室の隣にP2実験室が位置していた。入室には磁気カードによる開扉システムと思われるボックスが設置されていた。

P2実験室内の天井には殺菌灯が設置されていた。室内の消毒燻蒸(ホルマリン燻蒸とアンモニアによる中和、中和後の排気)について質問したが、P2実験室内にいた武田薬品の係員からはいかなる回答も得られなかった(質問の意味が理解できなかったようである)。 遺伝子組換え体等や病原体等の微生物の入った試験管等を落として内容物が床に飛散した場合などの事故等による室内の汚染を除染したり、あるいは定期的に室内全体の消毒殺菌をするには、天井の殺菌灯だけでは不可能である。紫外線が当たらない部分まで含めて室内全体の消毒殺菌には、例えばホルマリンガスによる燻蒸が必要となる。 

国立感染研のP2施設(実験室)とは異なって、P2実験室の天井材が壁、床と同じ構造の非浸透性の材質と見受けられたのは評価できる(WHOの指針に適合している。感染研は石膏ボード構造で失格)。

P2実験室で注目されたのは、壁際に設置された安全キャビネットの上部に付いている排気ダクト出口が水平方向に曲がって開口して実験室内に排気する構造になっていなかった点である(感染研のP2実験室、特に大部屋方式のP2実験施設の安全キャビネットはすべてこの実験室内排気の構造である。一部、例えばボツリヌス菌の取扱い実験室は、個室タイプのP2実験室ではあるが、そこに設置されている安全キャビネットの排気は室内排気されず、ダクト連結によって建物屋上の排気口から空中へ強制排気される)。この湘南研のP2実験室の安全キャビネットは、見学できたP2実験室のみならず、全てが(実験室内へ排気されるタイプでなくて)屋上から強制排気されるタイプと推測される。となると、いままで主としてP3実験施設の強制排気について特に注目してきたが、これからはこの研究所のP2実験施設についても、P3実験施設と同様に研究所の周辺地域住民に対する危険性(バイオハザード)を問題としないわけにはいかない。従ってこの屋上強制排気システムは、この研究所において将来的にP3実験施設で取り扱われる可能性がある病原体ばかりでなく、本年4月から研究活動が始動すればすぐに稼働するP2実験施設で数多く取り扱われることになっている遺伝子組換え実験のバイオハザードに繋がるものであり、今後の大きな問題となる。

安全キャビネットは本来的(一義的)には実験者の安全性を確保するのに大いに有効なものではあっても、外部の周辺住民の安全性を目的として開発され利用されてきたものではない。従って、武田湘南研がP3のみならず、P2の全ての実験施設で安全キャビネットからの屋上強制排気システムを採用して室内へ排気しないこと自体から言えることは、この安全キャビネットからの排気を実験施設内の従業員が直接吸気することを忌避していることになる(忌避することで内部の従業員の一層の安全を図る)。内部の従業員が吸気したくない(P3P2実験施設両方の)排気を周辺住民へ吸気せしめることを押し付ける構造となっている。

今回の見学のなかで、P3実験施設の場所の提示のみならず、その見学が実施されなかった理由を尋ねてみた。従業員の一人は、見学によって実験施設の床が汚れ、清掃と消毒が大変なので出来なかったとの回答であった。しかし、別の一人の回答は、周辺住民側からの申し出により、つまりテロの襲撃に対してP3施設の場所が知られることを周辺住民が恐れていることから見学対象にすることができなかった、とのことであった。この場合の周辺住民とは、武田薬品の利害と一致する特殊な住民かもしれない。

見学の途中で、プロジェクトリーダーの野村一彦さんを紹介されたのでP3実験について聞いてみた。将来的にP3での病原体実験が要請されたときには、この研究所においても対応せざるをえないとのことであった。しかし、日常的に継続してP3実験施設にて病原体を取扱い実験していないのであれば(武田薬品は、この研究所でのP3実験施設において、当面は病原体取扱い実験をする予定はないと言明している)、ある日突然に緊急な要請があったからといって、迅速に取扱いが開始できるわけではない。つまり、実験者のP3相当の病原体取扱いするための教育を含めて相当な準備期間が必要になることについて合意した。その上で、武田薬品が行うP3取扱い実験(研究開発)のすべてを武田薬品の光工場(在山口県。ワクチンの製造施設があり、日常的に病原体を取り扱っている)へ集約する考えはないのかと質問してみたが、今のところそのような考えは出ていないとの回答であった。一般的に、P3実験施設での遺伝子組換え実験が次第に緩和されてきてP2実験施設でも実施可能になってきている現状を考えると、今後は湘南研でのP3とともにP2取扱い実験をも注目し問題とせざるを得ない(つまり、湘南研での排気システムを考えると、P3ばかりかP2もバイオハザードの点で看過できない)。

P2実験施設内の流しに設備されている水道水の開閉には、通常の水栓が使用されていた。手術室での手洗い水栓のように手指以外の足で操作できる水栓にするべきである。流しからの排水は貯留槽へ導入されて殺菌消毒される計画との回答であったが、残念ながらこの貯留槽も見学コースに入っていなかった。

排水施設そのものの見学もできなかった。展示パネルの説明によれば、水質モニターとして、TOC、水温、pH(水素イオン濃度)が載っていたが、それ以上の詳しいことは掲載されていなかったし、係員に説明を求めたが無駄であった。実験室から1日あたり確か1,050立方メートルくらいの排水が貯留することになっている一次貯留槽について説明を求めたところ、この一次貯留槽は地中への埋込み型の貯留槽であるとのことであった。最新のバイオ施設では地面から架台で支えたタンク式にすることで漏水を発見し易くするのが通常と理解していたので、この点で武田の湘南研のそれが地中埋込み方式であるのは驚きであった。そもそもこの研究所を設計した機関については知らされていないが、これまでのバイオ裁判の中で出てきた安全対策等のあり方をどこまで詳細に検討した上で設計したものであるのか、大変気になるところである。

今回の見学会では、実験動物施設に関して一切見学が許されなかった。この研究所の中枢となるその動物施設の一部でも見学できるのではと期待していたが残念であった。

係員の説明では、研究所全体に関して「集中的な管理施設」があって、そこで各種のモニターが作動している状況が逐一把握されることになっており、その結果は守衛室で見ることができるとのことであったので、帰路守衛室へ立ち寄ってみた。TOC、水温、pHの表示は出ていたが、これらが連続的な経時的表示なのか、あるいは一定時間毎のデーター表示なのかに対する質問には、分からないとのことであった。暫く(10分近く)見ていたが、各数値が変化する気配はなかった。また、守衛室には風向の自動表示があったが、研究所施設のどこに風向計があるのかが分からないこと、および緊急時の風向を知らなければならないのは第一に緊急な避難が必要となる周辺住民であるが、その時の風向を即座に周辺住民へ伝達する有効な手段が確立されているのかどうかまったく不明であった。今回は、施設内にあるであろう「集中的な管理室」の見学ができなかったので、後日施設が稼働する前にその辺の確認ができるような見学が実施されることを、実験動物施設の見学とともに要望したい。なお、夜間等に不審者がフェンスを乗り越えた場合などにはモニターカメラの映像をどこかにある管理室で監視しているようであるが、それに関しては守衛室での対応があるのかどうかは不明であった。

今回の許可された極めて限定された見学範囲からは、バイオハザードに対する武田薬品の安全対策のレベルを推定することは到底できず、適切な評価もなしえない。 

 


科学者として                                 

新井秀雄(代表幹事)

 

炭疽菌(Bacillus anthracis)類似の感染を示すセレウス菌(B.cereus)

 

生物兵器の細菌としても知られる炭疽菌に対して、セレウス菌は自然界の土壌や汚水に広くみられ、健康な成人の一割くらいの腸管内にも棲息するような言わば常在的な細菌とされている。この2つは同じバチルス属であるが、一方は毒性の強い炭疽の原因菌であり、他方のセレウス菌のほうは偶に下痢や嘔吐を引き起こす食中毒の原因菌として知られている。

炭疽菌の強力な毒性は、この菌の核外遺伝子(プラスミド)によって支配されている。このプラスミドがセレウス菌に入って到死的な毒性をもち、あたかも炭疽のような症状を示す事例が報告された。インターネットによる感染症情報の「ProMED」で、この815日「病理学および実験医学紀要」の紹介記事が「B.cereus, anthraxlike infectionUSA」の表題で配信された(残念ながら原著へはアクセス不能であった)ので以下に少し紹介してみる。

https://mail.google.com/mail/?hl=ja&shva=1#inbox/131cf4ffd9f2265f

米国のテキサスの田舎に住んでいた来歴不明の人が急速に症状が進行する到死性の炭疽様の肺炎を起こすというバチルス属菌による圧倒的な感染症で死亡した。生前の検査材料から得られた菌を迅速に遺伝子検査や免疫組織化学的検査をした。その結果は、「この感染が、これまで未知の菌株であり、この菌株は炭疽菌に密接な類似性があるが遺伝的に異なるところのセレウス菌であった。この菌株は炭疽菌毒素のプラスミドの一つおよびその他を持っていた。生検材料の免疫組織化学的検査では、炭疽菌の毒素タンパク質のいくつかと均質なタンパク質が感染組織中に検出され、これが患者の死をもたらしたようだ」としている。結論的に、「迅速な遺伝子の配列分析」によってこの菌株を遺伝的に分別同定でき、その結果この症例におけるバイオテロリズムの可能性(つまり、炭疽菌でなくてセレウス菌であったが故に?)を排除できた、としている。しかし、逆に、いわば常在的なセレウス菌と分別同定された菌株が、炭疽菌同様の毒性を実際に示すようになってしまっていることが問題ではなかろうか。

この配信の直ぐあとに反応があって、今回のテキサスの事例の時期的な詳細がないことと、それとは別のもっと前の1994年にセレウス菌のG9241による通常見られないような重症化肺炎の症例で、炭疽菌の感染によく似ている症例がルイジアナでみつかり、さらに1996年にはテキサスで2例が見つかって2004年の科学専門雑誌PNASに報告されているとの指摘があった。

 https://mail.google.com/mail/?hl=ja&shva=1#inbox/131d0ec2987a1c99

 バチルス属には、殺虫剤との関連でB.thuringiensisとその殺虫遺伝子の組換え作物もよく知られている。       

 


科学者として                                 

    新井秀雄(代表幹事)

いまポリオワクチンの接種は必要か

 

1960年のポリオ大流行が緊急の輸入経口生ワクチン投与によって制圧され、さらに64年からは国産の生ワクチンが開発使用されて、現在まで生ワクチン投与が継続されてきた。1980年以降は、我が国での野生株によるポリオ発生はなく、国は2000年に国内での根絶をWHOに提示した。一方で、生ワクチン投与の乳幼児から排出されたワクチン由来株による感染がごく稀にみられた。そして、このことが今日までの経口生ワクチン投与が必要とされる理由の一つとされてきたが、現在、不活化ワクチン接種への転換が画策されている。

 世界のポリオ発生は、現在でもアフリカの一部やパキスタン、アフガニスタン、中国等でも報告があり、その近隣への波及も懸念されている。従って、これら流行地域へ渡航する乳幼児と感染の可能性のある大人に対して不活化ワクチン接種が検討されるのは妥当である。一方、国内の流行が根絶されている現状では、流行地等からの侵入を阻止することが国内のポリオ対策の主体となる。そして、万一侵入し流行発生がみられた場合には、直ちにワクチン接種が必要となる。そのためには、国内での迅速な流行監視システムとワクチン備蓄が不可欠となる。この場合は、流行発生時に迅速に対応することから全国規模の流行を想定するような大量備蓄は必要でなく、また60年の大流行時とは違って現在の有効な不活化ワクチンで十分対応出来るはずである。

さらに、野外株による流行がない以上、生ワクチンに替えて不活化ワクチンをわざわざ接種する必要性もない。いま直ちに流行地域への渡航者向け以外のすべての(生と不活化両方の)ポリオワクチンの接種を中止するべきである。不活化ワクチンは、一般に生ワクチンに比べると抗体産生や抗体価の持続が劣るため、身体に対する異物として接種される抗原量がより多くなる。従って、副反応の危険性もより高くなることが懸念される。

狂犬病は、感染して発症してしまうとほぼ100%死亡する(最近、例外的に米国で救命された例がある)。従って、狂犬病の常在地域で感染の可能性が懸念される場合には、渡航前に不活化ワクチンの接種が勧められている。ポリオに比べて世界での狂犬病の患者ははるかに多い。しかし、国内での狂犬病は、1957年を最後に発生がない。1970年にネパールでイヌに咬まれて帰国後死亡した例と2006年にフィリピンでイヌに咬まれて帰国後2名死亡した例があるだけである。ワクチン製造施設を含めたバイオ施設以外では、国内に狂犬病を引き起こすウイルスは常在しないとされている。確かに、現在でも国内では渡航者向け以外の狂犬病ワクチン接種は行われていない(バイオ施設等での狂犬病ウイルス取扱者等を除く)。狂犬病対策は、検疫体制とある程度のワクチン備蓄によって良好に維持されている。ポリオワクチン接種の問題は、狂犬病ワクチンの現状が参考になるかも知れない。     



科学者として                                    

       新井秀雄(代表幹事)

鳥インフルエンザウイルスの感染研究一時休止について

昨年12月に科学誌「Nature」と「Science」が感染性鳥インフルエンザウイルス作成に関する2つの研究論文を掲載できない状態にあることが報道されました。一つはオランダの研究グループのものであり、今一つは日本の研究者が中心となって参画している米国の研究グループから投稿された論文です。米国のバイオセキュリティ科学諮問委員会の勧告に基づいて米国政府が論文掲載に待ったを掛け、論文の核心部分をはずして発表することを求めたとのことでした。年が明けて120日に世界のインフルエンザウイルス研究者39人がこの事態に対して、「鳥インフルエンザウイルスの感染研究を60日間休止する」との声明を発表しました。実験室にて鳥インフルエンザウイルス(H5N1)由来のウイルスから、このウイルスに感受性を示す実験動物フェレット(イタチに似た小動物)に空気感染(飛沫感染)するようになったものを選択したこと、つまり鳥ではなくて哺乳動物に感染性を持つ(飛沫感染する)ようになったとのことです。この辺のことは、すでに昨年9月にマルタで開かれた国際的なインフルエンザ会議のときに報告があったとのことです。インフルエンザに関しての情報は、外岡立人氏が広く詳しく追跡されています(http://panflu.world.coocan.jp/)。

 鳥に高病原性を示す鳥インフルエンザウイルス(H5N1)は、東南アジアやエジプト等で鳥と濃厚に接触した人が感染する散発例が現在も報告され続けており、感染発症した人の半数以上が死亡する場合もあってその動向が注目されております。しかし、今のところ感染した人から次の人へ直接に感染伝播する事態ではありません。このウイルスが人から人へ感染流行するように変異して世界的に大流行するようになると大変なことになると懸念されていますが、しかしいまや少なくとも実験室のレベルでは、人から人へ感染する可能性がある高病原性鳥インフルエンザウイルスが存在していることになりました(実験動物フェレットでの感染が人での感染を反映していると理解されています)。確かに、まだこの作成ウイルスの実際に人への感染能力がどの程度あるのか、そして人での病原性がどの程度なのかは未知の状態ですが、生物兵器関連施設が注目していると考えられます。このようなウイルスを作成したというオランダグループの研究では、フェレットに感染するように工夫した鳥インフルエンザウイルス由来のウイルスを人為的に次々にフェレットに継代感染させて強い感染性を示すウイルス(つまり飛沫感染するようになった)を選択するという旧来の生物兵器の開発方法に用いられていた常套的単純な方法を使って作り出したようです。その意味では、軍事施設でなくてもある程度の施設と情報があれば追試して変異ウイルスを入手するのはさほど困難ではなさそうです。現に自然界にみられる鳥に高病原性を示す鳥インフルエンザウイルスは、そのままでは人に直ちに高病原性を維持したままで高い感染性(世界的大流行)を持つ形に変異する可能性は低いために、ブタの中での混合感染による組換えが議論されています。実際にエジプトでは、ブタが大量に殺処分された報道がありました。しかし、実験室での作成では、ブタを介さなくても直接的に目的(人に飛沫感染可能)とする変異ウイルスが獲得できることが示されました。

 「(こうした)研究の重要性」が強調されています。また世界的大流行(パンデミック)対策のためのワクチン作成や治療法が確立されることが先であるとの議論もあります。一方で、研究室で出来ることは、いずれ遅かれ早かれ自然界でも起こるとの研究者のご都合的な主張もあります。しかし、この手の研究遂行がどのような悲惨な結果を全世界にもたらしうるかをよくよく考えて、すでに出来てしまった作成ウイルスを即刻封印し、この研究は遂行禁止してもらいたいものです。ここまでくると、この手の変異ウイルスが実際に世界中に出てくることはもはや覚悟しなければならないのかもしれません。そのときは今回作成されたウイルスとの比較研究もなされるでしょうが、それが人為的に作り出されたものかどうかを確定するのは不可能でしょう。 


■科学者として                               

新井秀雄(代表幹事)

 

癌治療を目指す「ウイルス療法」について

 

 宿主の細胞に侵入感染したウイルスは、宿主細胞の核酸合成や蛋白合成機能を使って自己を複製増殖させ、ついには宿主細胞を破壊して周辺の細胞へ感染拡大する。この間に引き起こされた宿主の免疫機構は、ウイルス感染増殖を阻止するように働くようになる。そこで、癌細胞だけに選択的に侵入感染して細胞破壊するが、癌細胞以外の生体の正常な細胞には侵入感染しないウイルス、つまり癌細胞にのみ侵入感染して限局的に癌細胞だけを破壊するが、生体には病原性を示さないウイルスが得られれば癌治療の有効な手段になることが期待される。oncolytic virus therapy (腫瘍溶解性ウイルス療法、以下「ウイルス療法」と略称)といわれるこの治療法が、「癌の三大治療法」である外科療法、(抗癌剤)化学療法、放射線治療に加えられるかもしれない第4の治療法として現在世界中で各種のウイルスについて開発実用化が急がれている。

1991年に米国の科学雑誌にMartuzaらの研究報告が掲載された(Science 252: 854-856, 1991)。これをきっかけにして、国内でも名古屋大学グループなどの研究が展開され、日本ウイルス学会機関誌の「ウイルス」(第57巻 第1号 2007年)に「5. 単純ヘルペスウイルスを利用した癌に対するウイルス療法」(シンポジウム「ウイルスを利用する」)として総説されている(以下のホームページで見られる)ので参照されたい。

http://jsv.umin.jp/journal/v57-1pdf/virus57-1_057-066.pdf

今年の8月には、脳外科の臨床医であって「ウイルス療法」の基礎研究に従事している研究者が一般向けの本を出版した(「最新型ウイルスでがんを滅ぼす」藤堂具紀、文春新書)。Martuzaの所で研修され、現在は東大医科研で臨床医として、また基礎研究者として引き続き「ウイルス療法」の研究開発をしている。著者が開発した単純ヘルペスウイルスI型に3つの遺伝子操作を行なって作成したウイルス株が「副作用も後遺症もない革命的ながん治療」の候補ウイルスとして期待できると自信に満ちた主張がなされている。そこでなされた3つの遺伝子操作は、いずれもウイルスの遺伝子の一部を欠損させることで作成したものであり、従って元ウイルスのヒトに対する病原性は弱くなることはあっても強くなることはありえないと言う。ところが、この3箇所の欠損化ウイルスに対して、さらに「インターロイキン12」という生体の免疫を刺激して免疫機能を高めるタンパク質を産生させる遺伝子を組み込み付加したウイルス株が、動物実験で静脈投与による癌治療にも多大な効果を確認できたことから、今後の「ウイルス療法」に有用なものになるはずであると言う。しかし、免疫に係わるタンパク質(サイトカイン)を遺伝子操作によって導入する場合には、とくに予期しない副作用が起こりうる懸念があり、くれぐれも慎重な検討が望まれる。製品として実用化されるかどうか、今しばらく待つことになる。


■科学者として                               

新井秀雄(代表幹事)

癌溶解を目指す「ウイルス療法」の安全性について      

 

 前回の会報(第75号)に癌溶解の「ウイルス療法」、特に遺伝子操作で改造したヘルペスウイルス株による「副作用も後遺症もない革命的ながん治療」と自賛されている国内の研究開発について簡単に紹介した。一方で、ヘルペス症例等からの分離株の中から選別することで(つまり特別な遺伝子操作を加えないで)「ウイルス」治療に適用する努力もなされている。いずれの場合も、その安全性については、可能な限りの慎重な検証が不可欠であるが、患者本人に対する安全性はもとより、バイオハザードの面でも注視する必要がありそうだ。

 ヘルペスウイルス遺伝子の一部を欠損させて作成した「ウイルス治療」候補のウイルス株については、元株が持つていた病原性に関して「弱くなることはあっても強くなることはあり得ない」との理論的な主張がなされているが、このことは実際に検証される必要がある。(人為的な遺伝子操作を加えない)症例分離由来株であれ、また遺伝子操作したウイルス株であれ、生体内に接種されたとき突然変異する可能性がある。ポリオなどの生ワクチンウイルス株が、ワクチン接種された人体の中で変異して体外に出てく事例が実際にあることはよく知られている。種々の癌患者の生体内を通過した「ウイルス療法」のウイルス株が変異して、各種レベルの健康状態の他の生体に対して病原性を発揮する可能性がないと断定できるだろうか。とりわけ遺伝子操作した病原性ウイルス由来のウイルス株による「ウイルス療法」の実施は、遺伝子操作改造ウイルスの「野外放出」の事態と言えるから、その安全性の検証について一般市民(ウイルス療法の受け手でもある)にも理解できるように説明され、また「野外放出」に対する厳重なバイオハザード対応が求められる。今から10年前に、バイオ施設からの漏出の疑いが議論されていたSARS(重症急性呼吸器症候群)のウイルス出現と大流行が想起されるが、病原性ウイルス由来の遺伝子操作ウイルスの「野外放出」がどのような事態になるのか予想もつかない。

 上記のことと関連するが、治療用のウイルスを接種された癌患者本人の癌の細胞内で急速に増殖した大量のウイルス粒子は、その後その患者体内でどのような経過をたどるのか。外科療法、抗癌剤療法、放射線療法とも違った「ウイルス療法」を適用した結果、癌の細胞が消滅した場合の本人の健康状態は、他の平常の健康状態と基本的に同じなのかどうか。また、癌患者であると同時に他の疾患も合併している場合もある。「ウイルス療法」の適用結果、体内に大量に増殖したウイルスを効果的に排除しうる身体状態(免疫状態)になっているかどうか。この点に関しては、各種の癌状態の動物以外に、免疫不全状態や各種の基礎疾患状態などのストレス下にある動物などに対する「ウイルス療法」ウイルス株の大量接種試験も不可欠である。

 「ウイルス療法」実用化に向けて開発努力が急ぎなされているが、実用化に当たっては病原体に関する安全性の問題を慎重にも慎重に検討してもらいたい。


■科学者として                               

新井秀雄(代表幹事)

ノロウイルスによる急性の感染性胃腸炎について

 

 冬場の食中毒症状といえばノロウイルス(これは属名であるが、報道などで慣例的に使われている)によるものがよく知られている。世界的に20062007年に大きな流行の山がみられたが、今季になって再び多発している。この冬は、新しい変異株のノロウイルスによる急性の感染性胃腸炎の流行が本邦および欧米でも増加しているようだ(http://www.promedmail.org/direct.php?id=20130103.1480475)。

1968年米国オハイオ州ノーウォークの小学校で集団発生した急性胃腸炎患者から初めて分離されたウイルスが、電子顕微鏡観察で小型の球形を呈しており、その後各地での感染性胃腸炎発生例から分離蒐集された株の遺伝子解析によって、現在では大きく2つの遺伝子群とその下に多数の遺伝子型が分類され、各遺伝子型にはさらに複数の血清型がみられている。今回の流行株は、これまでに見られたgenotype.4の新しい変異株とすると、以前にノロウイルスに感染した経験のある人も今回再び感染してしまうかもしれない。ウイルス粒子10個~100個の少数摂取(経口感染、塵埃感染等)でも小腸で増殖して発症し得るとされるほど感染し易いノロウイルスだが、その病原性は強いものではない。感染後12日で突然の吐き気と繰り返す嘔吐、下痢、腹痛、軽度の発熱等が見られるが、脱水に対処すれば大抵は1,2日で回復するし後遺症も知られていない。しかし、その後無症状のままかなりの長期間感染性のウイルス排出がみられる。老人、乳幼児など免疫(体力)の低下状態での感染では、稀に死亡例もみられるが、その場合でも吐いたもので喉を詰まらせるとか誤嚥性肺炎などの二次的な原因によることが多い。今季の流行株が特別に病原性の強いものに変異しているわけではなさそうだ。

急性胃腸炎の他に、感染しても発症しない不顕性感染や、この時期の多種類の風邪症状の中にはこのウイルスの感染によるものもあるようだ。しかし、いずれの場合にも強い免疫の獲得は期待できず、予防ワクチンもない。今のところ、このウイルスによる発症はヒト以外では見つかっていない。冬場の発症例が多いことから生牡蠣等の魚介類摂食による感染経路が注目されてきたが、現在では生牡蠣からのウイルス分離は減少し、このウイルスによる食中毒の原因食品がはっきりしない症例も多い。無症状のウイルス保持者本人が気づかないままに調理、運搬等の過程で多様な食品や飲料水が汚染され、あるいは汚染した衣類、寝具、家具などを介して感染が広がる例が多いと考えられる。基礎医学的には、ヒト腸管細胞を使った特殊な技術による培養の報告例はあるが一般的でなく、未だに手軽に増殖できる培養細胞系が無い。また動物感染実験も成功していない。個々の生活で、日頃からの健康保持、体力(免疫力)保持が大事となるようだ。

 糞便の海上直接投棄のない本邦では、牡蠣などの魚介類の生物濃縮による汚染が下水場の処理水に起因するとも考えられる。まずは、下水処理場でのウイルス不活化(除去)の確認検査をする必要がありそうだ。 


■科学者として                                 

新井秀雄(代表幹事)

「コリンズとラインの微生物学実験法(第8版)」の出版

C.H.コリンズ、P.M.ライン、J.M.グランジ、J.O.ファルキンハムⅢ 編著 

本庄重男、新井秀雄、長島 功 訳、2,013年2月、緑風出版)

 

 これ程の大部のものになるとは、翻訳の分担が決まり取り掛かった最初の頃には思いもしなかったことでした。翻訳が進むうちに薄々それを感じ始め、最終的にはどのような体裁になるのかと…。出版され手にとって見てその厚さと重さに驚きました。

 2分冊の構成もあったかと思いましたが、やはり医微生物学(ウイルス学以外の細菌学と真菌学が主体)の教科書として一冊にまとまってあることの便宜性があります。巻末には細菌名による索引が別途設けられ、医微生物学の辞典的な使用もできそうです。全体的に、約半分弱の分量(第1~12章)が微生物学の総論的内容であり、続いて食品関連の微生物学(第13~18章)、環境微生物学(第19章)、水の微生物学(第20章)、そして各種細菌および真菌の各論(第21~52章)が続く構成となっています。

 本書の第1章は、「微生物学実験における安全性」で始まっていますが、この構成に原著の筆頭編者である元WHO顧問の故コリンズ博士の特別な思いを感じました。博士はケネディ博士とともに予研(現感染研)裁判に国際査察の原告側査察者として、見事な科学的査察鑑定書を提出してくださいました。生物災害防止に関する英国の学問的かつ実際的実力とレベルの高さに感嘆しましたが、こうして本書が出来上がり読み直してみると重々合点のゆくところです。第2章「品質保証」、第3章「実験室設備」、第4章「感染材料の滅菌、消毒、除染」となっていますが、この1~4章はWHOの指針「Laboratory Biosafety Manual, 2004」(邦訳『実験室バイオセーフティ指針』)を種々検討される際に合わせお読みいただけると参考になることと思います。

 第5章「培地」、第6章「培養法」、第7章「同定法」、第8章「自動化された方法」、第9章「真菌学的方法」、第10章「微生物数の測定」、第11章「臨床材料」、第12章「抗菌剤感受性試験」と、基本的な医微生物学教科書としての内容が網羅されています。次いで第13章「食中毒と食品媒介疾患」、第14章「食品微生物学:一般法則」、第15章「獣肉と鶏肉」、第16章「新鮮食品、保存食品および長期保存食品」、第17章「鮮魚、貝類および甲殻類」、第18章「牛乳、乳製品、卵およびアイスクリーム」、第19章「環境微生物学」、第20章「水の微生物学」と続きますが、この各章は教科書としての利用はもとより、それぞれ実際の現場で日々活躍される方々にも読んでいただきたいところです。各論部分に関しては、実学としての性格から最新の知見、情報等は専門学術雑誌等に譲るのは当然ですが、教科書として整理されたこれまでの知見の集積として有益と思います。

 各章の末尾には、参考文献が掲載されています。容易に探し出せるように誤植を避けて原文のまま記載されています。検索される上でこの方式が便宜と考えました。

 医微生物学(細菌学)教科書として、医学、獣医学、薬学、公衆衛生学等の教育過程の皆様に広く読んでいただきたいと思いますが、それ以上に医療関係、保健所、衛生研究所等の実際の現場で活躍される現役の方々に読んでいただけたら幸いです。同時に、生物災害防止に関わる皆様にも是非参照していただきたく存じます。


■科学者として 不正手段で血圧降下剤を売り抜けた武田薬品                 

新井秀雄(代表幹事)

 

本年2月末のNHKニュースにて、我国製薬メーカーのトップである武田薬品工業が、血圧降下剤(降圧剤)「ブロプレス」について企業に有利な臨床データを意図的に取捨選択して作成した誇大広告によって精力的に販売し、これまでに1兆数千億の巨額な売上を得たと報道された。昨年には、他の製薬メーカーであるノバルティスファーマ社の降圧剤「ディオパン」の臨床データ改ざんが発覚し、厚労省が薬事法違反で告発していた。そして、今回の武田薬品の同じく降圧剤をめぐる不正である。

現在、医療費のトップは高血圧とその関連の疾患(1)であるから、製薬企業にとって降圧剤の販売は重大事に違いない。一方で、製薬企業の誇大広告を見抜けないまま無批判にそれら薬剤を処方してきた臨床医師は、自らの不明を恥じて「ブロプレス」の使用を中止し、今後はより注意深く各自が責任をもって吟味選択し適正に薬剤を処方されたい。しかし、偽りの広告による一番の被害者は、その薬剤を適用され続けてきた患者たちである。

実際に使われている各種の降圧剤と同様、「ブロプレス」も実際に臨床で使われるようになるためには、大学等を中心とする専門の医師団が関与して臨床試験(治験)データが集められ、統計処理してその有効性等が確かめられた上で製造販売の認可が下りたはずである。報道によれば、武田薬品から巨額の研究費が京都大学等の医学部病院側に提供され、多数の臨床医師の協力の下に治験データが集められた。この一連の過程で、特に重要な最終的治験データの解析(効果判定)を含む広範な分野に武田薬品関係者の専門家が積極的に関与していたことが明かされている。治験計画を立案し参画した大学側の臨床(研究)医師達にとっては、武田薬品からの巨額な予算提供と豊富な人的援助および膨大なデータ整理と解析操作の引受けは、大きな魅力であったに違いない。今回の不祥事が発覚するまで、この薬剤を世に送り出すにあたって積極的に関与してきた京大大学病院等を中心とする専門医師達(研究者)自身が、武田薬品のこの誇大広告を今日まで実に約15年も見逃し続けてきた。彼らの結果責任も重大である。

武田薬品の長谷川閑史社長は、件のNHK報道の10日前、雑誌「プレジデント」にて、「何事にも高い倫理観を持って、公正、正直に取り組み、不屈の精神でよりよき姿を追求し続ける」ことを、他の世界の競合製薬企業に比して武田薬品こそが「どこまでも真剣に忠実に守っている」のだと豪語していた。まことに恥ずかしい限りである。巨額の研究費と人材を送り込んで臨床データを集計解析し、販売に有利なように詐欺的に悪用し大々的に誇張して広告し、巨額の売上を得てきた。かくして、患者ばかりか臨床医師をも欺き、もっぱら企業利益を猛追する「不屈の精神」こそが武田の基本精神の実態であることが再び露呈された。藤沢市と鎌倉市にまたがる湘南地区の武田薬品旧工場跡地に巨大な新研究所をつくって、バイオハザード、環境汚染による周辺地域住民のいのちの危機、常時不安を無視し続け、なおも傲然と居直っている武田薬品の企業精神であれば、今回の事態は当然の結実とも言える。熾烈な降圧剤販売競争の中で誇大に宣伝され販売されてきた「ブロプレス」の今後の再評価はどうなるのか。この薬剤の15年に渡るこれまでの広範な使用は、該誇大広告薬剤の帰結(評価)を明かす一種の人体実験となっている。過去に、武田薬品は、あの忌まわしい人体実験等で周知の日本陸軍731部隊関係者を判明しているだけでも3人も迎え入れた。これが「何事にも高い倫理観」を持つと嘯く武田薬品の企業実態である(2、3)。今回の重大な犯罪的不祥事は、この武田薬品に起こるべくして起こったと言えよう。

誇大広告に使われた臨床データの集積において、データ登録1件につき10万円が開業医に渡ったとされている。三十数億円という巨額資金が武田から「奨励寄付金」等の名目で臨床データ作成に投入され、そのうち少なくとも二十数億円が京都大学に渡ったと言う(4)。売上トップクラスの降圧剤をめぐる不正発覚は、昨年の「ディオパン」(ノバルティスファーマ社)、そして今回の武田薬品の「ブロプレス」であるが、これら2件は去年、今年といずれも京都大学病院医師(循環器内科)の由井芳樹氏によって指摘され明るみになった。これまでに多くの学者、臨床医師等が関わり続けてきたが、何故この時期に連続して発覚したのか。特許の終了を待ってより安価なジェネリック品が沢山出てくる。その特許が切れるのが今年であるので、この時まで不正の露呈を巨大な人財力で圧倒的に抑えつけながら売り尽くし、製薬企業としては既に儲けるだけ儲けてしまったに違いない。しかも武田の長谷川閑史社長は、今年中に新しい社長と交代することになっていた。まことに絶妙なタイミングである。

 

(1) http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/seikatu/kouketuatu/reason.html

(2) http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/iryou/731butai/kitikunoshokugyou.htm

(3) http://masachan71.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-de23.html

(4) “武田薬品も臨床試験で「捏造」ノバルティスよりも「悪質な不正」”

雑誌「選択」20142月号

(武田問題対策連絡会ニュース第20号の原稿を一部修正した。新井秀雄)

 

 


科学者として                                 

新井秀雄(代表幹事)

炭疽菌によるバイオハザード発生の危険 

620日のCNNCable News Network)報道によれば、米国ジョージア州アトランタ市にあるCDC(米国疾病対策センター Centers for Disease Control and Prevention)は、13日の事故発覚後6日経過した19日になって、施設職員75人が実験操作の手違いによって生きた炭疽菌に曝露された可能性があると発表した。炭疽菌感染の危険性があるこの75人の職員には抗生物質を投与して経過を観察しているが、事故発覚後6日間の経過観測では発症は認められず、その結果から「感染の可能性は極めて低い」と発表に踏み切ったものと思われる。この75人以外のCDC職員や関係職員の家族等の二次感染、そしてCDC施設周辺の一般市民が感染にさらされる危険性については一切考えておらず、特に対策を講じる必要はないと主張している。

 これまでの報道によると、CDC施設内の特定の実験研究施設で炭疽菌生菌の試料の不活化(殺菌)が適切に行われず、その(生きた炭疽菌を含む)試料が生菌を取り扱う設備のない実験施設の3箇所で実験に使われてしまった。つまり、この3箇所の職員は、炭疽菌が殺菌されているものと思い込んでしまい、感染予防措置を講じなかったという。この報道発表から考えられることは、炭疽菌生菌の取り扱いはP3施設であるが、本来はその施設内で炭疽菌を殺菌したうえでP2以下の施設へ持ち出し、遺伝子操作等の実験に供用するが、実際にはP3施設内で殺菌(の確認が)されないままで持ち出されてしまい、以降は感染し得ない資材として75名もの多数の職員が感染予防措置のないままに実験操作を行ってしまったというもののようだ。

バイオハザードの観点から少なくとも二つの点が問題になる。炭疽菌試料をP3施設外に持ち出す際の殺菌操作において、殺菌されていることの確認がなかった点である。本来は、何時、何処で、どの操作で、誰が殺菌操作を行い、結果としての殺菌の確認がなければならない。憶測すれば、殺菌操作後直ちに室外に持ちだされて以降の実験操作が実施されたものと考えられる。多分、殺菌の確認のために培養試験がなされたが、通常は培養の結果として増殖陰性になるべきところが、613日になって予想に反して炭疽菌が増殖していた結果に驚愕したものと思われる。こと既に遅く、その時までに75人の職員が炭疽菌が生きていることを知らないままに以降の実験操作に従事してしまっていた。殺菌操作は、当然にもシステムとして確立しているはずであり、またそのことは記録されているはずであるが、その点に関する詳細が明かされていない。

もう一つは、今回の事故が613日に発覚した(生菌の存在を示す培養結果がその日になって出た)と発表されたが、一般報道は事故発覚後7日も経ってからであった。従って、その施設外の人々は、この間何も知らされないまま(いかなる通報もなく、また予防措置もなしに)日常の生活(感染可能性がありうる生活)を送らされた点である。今回は、幸いにも今のところ犠牲者は出ていないようであるが、一歩間違えば重大なバイオハザードが起こったかもしれない。世界最大最高のバイオ施設と目されるCDCにおいて、なぜこうした事故が起こったのか、炭疽菌を使ったどのような実験が75名もの多数の 職員が係る形で今回行われていたのか、その詳細な検証報告がなされるべきと考えるが、現在にいたるまで追加のいかなる発表もなく、その詳細は一切不明のままである。

炭疽菌は、生物兵器としての有力候補の病原体の一つであり、2001年に米国で炭疽菌の郵送事件が発生し、少なくとも22名が感染し、そのうち5名が死亡した。また、1979年4月に旧ソ連スヴェルドロフスク市の軍事施設P3から漏れ出た炭疽菌によって風下地域の多数の一般住民と家畜が感染死亡したバイオハザード事例が広く知られている。                     


■科学者として エボラ出血熱ウイルスの国内侵入を阻止する                

新井秀雄(代表幹事)

 

今回のエボラ出血熱(以下、エボラ)の感染流行は、この9月10日までにアフリカ西部4カ国で患者合計で約4800人、そのうち約半数が死亡している。患者二人のうち一人が死亡するという高い致死率は確かに衝撃的であるが、流行現地の西アフリカ諸国ではエボラによる死者が大きな問題とは受けとめられていないという。現在のエボラ流行中の西アフリカ4カ国の一日あたりの感染症による死者数は、エボラよりも結核、下痢、マラリヤ、エイズのほうが何十倍、何百倍と圧倒的に多い。このような現実の中で、WHOが8月8日に「(西アフリカにおけるエボラ出血熱の流行は)国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」との宣言をだしたが、流行現地の人々はこの宣言をどのように受けとめているのであろうか。

エボラは、インフルエンザのように人から人へと空気感染することはなさそうであるので、直ぐにも世界的なパンデミック状態になるとは考え難い。そこで、流行地域の西アフリカ諸国にもともと風土病的な様相を示しているエボラを、国内に侵入させないように水際で侵入阻止するためには、検疫が有効に機能していることが肝要となる。エボラの診断法は、既に感染症研究所で確立されているから、診断のための機材を侵入門戸となる可能性の高い成田空港と関西空港の検疫所内に事前に搬入して置けばその場で診断できる。そして検疫施設内にエボラ等の高度に危険な病原体に罹患した患者に対応できる病院施設が併設され、そこで隔離と治療ができる体制が完備されているべきである。国内に存在しないエボラのような病原体の侵入を門戸で阻止するためには、検疫所施設から患者などを外部の病院施設へ搬送することも、また患者由来の検査試料の外部への搬出も禁止されねばならない。検疫所でエボラ陽性の診断結果が出た場合は、患者と接触した可能性のある人々(乗客、乗務員、入国審査や検疫従事者など)についても一定期間の隔離と検査が必要となるが、この場合も検疫施設内で対応できるようにする。ことは急を要しているから、消毒滅菌操作の可能な前室を備えた移動式(プレハブ方式)の検査室、病室を早急に設置して対応するのが実際的と考えられる。エボラが空気感染でないのであれば、厳密な陰圧構造も特別必要とはならない。例えば、プレハブ式のP3施設は、かつての予防衛生研究所(現感染症研究所)に実際に設置され稼働していた経歴がある。検疫所内の他の既存建物とは別の独立したプレハブ施設の導入は直ぐにでも可能のはずだ。

 西アフリカ流行現地で高致死率が報じられているエボラであるが、この致死率の高さは、

体力を維持する栄養状態、気候風土などの環境状態や利用可能な医療状態などによっても変動する。万一日本でエボラが流行してもその致死率はずっと低いと推測される。西アフリカの流行現地の貧困問題が解決されれば、エボラばかりでなく各種の感染症の脅威も様変わりするに違いない。国内への侵入を阻止する努力はもちろん大事であるが、何かもっと根本的な解決すべきことが多々あるのではないか。

 最近話題のデング熱、その国内での病原性はまず心配ない。同様に、蚊によって伝搬される感染症の一つであるが、国内では稀である日本脳炎の方が、もし万一感染して発症すればデング熱よりよっぽど危険である。


2014年度感染研の事故報告を読んで                     

新井秀雄(代表幹事)

 

 当会の川本幹事が2014年度の感染研の管理運営の実態に関して情報公開を請求し、沢山の資料を入手して緻密に検討されました。その内容は既にこれまでの本誌等にも報告が掲載されています。ここでは、感染研事故報告の中で特に「針刺し事故」について感じたことを記してみます。

 201485日、感染研の武蔵村山庁舎の4号棟2階処置室(感染実験動物の取扱室)において、ウイルス性の白血病の原因体であるヒトT細胞白血病ウイルス1型の感染動物(マウス)に麻酔薬を注射した後で、その注射器の針にプラスチック製のキャップを被せる操作の時に左手親指に刺してしまった。直ちに、刺し傷から血液を絞り出し、流水洗浄と消毒用アルコール塗布の応急処置をした、というものです。目視にてマウスの注射部位からの出血は見られなかったことから、この針刺し事故によって感染動物から大量のウイルスが実験者の体内に入ったとは考えられなかったと記載されています。

 この針刺し事故に関していろいろ問題点があります。まず、このような針刺し事故が毎年のように起こっている、つまり事故を防ぐことが未だにできていません。感染実験動物へ注射したあと、注射器の針に手指で再度キャップをすることは厳禁されているにもかかわらず、多分無意識にしてしまったようです。感染研で毎年実施されているはずのバイオハザード防止のための安全講習会の意義が疑われてしまいそうです。しかも、この時に同室者がいたにもかかわらず事故は避けられなかった。感染の危険性がある実験には、同伴者の相互監視体制が要されていますが、実態はあいも変わらず無視されているようです。この事故によって、事故者が感染したかどうかは、後の経過、とくに抗体検査が必須ですが、この検査は対照としての感染前の状態の血清が必要です。そのためには、事故時に直ちに本人の採血と血清分離・保存が必要ですがそれが実施された報告の記載がありません。本人の血清は、前々から既に保存されていたからその必要はなかったのかもしれませんが、確認記載はありません。翌年(2015年)の26日の検査では、16倍未満の抗体価となってます。ただし、この検査は何故か外部の検査機関にてなされたものが一回のみであり、この間の抗体推移等を追跡した記録はありません。バイオハザードの観点からは、2次感染のチェックは重要ですが、家族、同僚等についての疫学的検討の記載はなく、当初からその可能性は無視された印象です。

 今年のエボラ出血熱流行を巡って、本邦でもついに感染研武蔵村山のBSL4(P4)施設の実質稼働が画策されてきました。旧来の「グローブボックス方式」施設で感染被疑者の検体を動物に注射してウイルス分離を試みることがなされた場合、陰圧下での厚手のゴム手袋を介した動物実験は、バイオハザードの危険性が強く憂慮されます。情報公開と監視がますます大事となります。

 


■ジカウイルス感染症(ジカ熱)の大流行                    

新井秀雄(代表幹事)

 

デング熱騒動、そしてエボラ出血熱が大きく報道されて、これまで実質的に開店休業状態であった感染研BSL4施設が稼働できる事態となり、一方で研究施設としてのBSL4施設の新設の動きも強くなってきたかのようです。そのようなときに、ジカウイルスの感染症というこれまでおよそ馴染みのなかった感染症大流行の報道が飛び込んできました。

ジカウイルスは、1947年にアフリカのウガンダ(のジカ森林)でアカゲザルから初めて分離されましたが、病原性は弱く感染しても約8割は無症状のままに経過するようです。微熱、頭痛、関節痛、皮疹、結膜充血等の症状を呈するというごく軽いデング熱類似の赤道地域の感染症であり、その後東方に伝搬したかのように1977-78年にはパキスタン、マレーシア、インドネシアで小規模の流行がみられ、今世紀になって、2007年にはさらに東方のミクロネシアのヤップ島で散発的な発生がありました。その後2013年に仏領ポリネシアでの小流行がみられた程度でほとんどしられることもなかったジカ熱が、今回突然に、ブラジル、コロンビア等中南米での大流行となりました。

病原体のジカウイルスは、デング熱や黄熱、日本脳炎等の病原ウイルスと類縁(フラビウイルス科)の節足動物媒介ウイルス(アルボウイルス)に属しており、デング熱同様にネッタイシマカが代表的な媒介蚊ですが、これ以外にも数種のヤブカが知られ、本邦に生息するヒトスジシマカも媒介できるようです(感染研HP参照;「ジカウイルス感染症とは」)。媒介蚊による感染伝搬であり、人から人への直接の感染はないと考えられていますが、ごく最近、体液(精液)からの感染が推定された例が報告されました(CDC MMWR  Feb.12, 2016 )。今回のブラジルでのジカ熱流行と新生児小頭症(4000例以上)の大発生との関連が懸念されると公衆衛生当局が早々と宣伝し始めました(ブラジル以外でのこれまでのジカ熱の流行事例では、小頭症の発生がとくに増加するとの報告はなかった)。小頭症の胎児脳中にジカウイルスが見つかったとの報告がでました(NEJMFeb. 21, 2016)。四肢の運動麻痺を伴うギラン・バレー症候群との関連も懸念されているそうです。WHOは、本年2月1日、南米と北米の両大陸で感染症「ジカ熱」が急拡大しているとして、「国際的に懸念される公衆衛生の緊急事態」を宣言しました。

今回のブラジルでのジカ熱の大流行と新生児小頭症の多発について、その小頭症の原因が、住友化学が開発した昆虫成長制御剤ピリプロキシフェンによる汚染だとアルゼンチンの学者が指摘しているとの情報提供が当会の本田孝義幹事からありました(参照1:http://gmwatch.org/news/latest-news/16706

(参照2「ジカ熱」に関係していた日本企業 :http://wonderful-ww.jugem.jp/?eid=1527)。住友化学は、ブラジルで急増している新生児小頭症との因果関係を否定するコメントを発表(2月19日毎日新聞速報:「蚊の幼虫駆除剤 小頭症との因果関係を否定 住友化学」)しましたが、いずれ真相は露呈するでしょう。しかし、念のため特に妊娠可能性のある場合には国内販売中のこの薬剤(商品名スミラブ;無色無臭)との接触を忌避すべきです。     

 


ジカ熱の流行(追記)                          

新井秀雄(代表幹事)

 

 ブラジルでのジカ熱流行と新生児小頭症の多発について、その小頭症の原因究明が急がれているなか、413日発行の医科学雑誌「the New England Journal of Medicine :」に米国CDCグループの「Zika Virus and Birth DefectsReviewing the Evidence for Causality」と題する特別報告が出ました。催奇形物質に対する科学的な判定基準を採用してこれまでに発表された論文やデータを解析した結果、蚊媒介の

ジカウイルス感染と新生児の脳障害との間に明らかな関連性ありと結論しています。(参照:http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/04/post-4906.php

 2013年にフランス領ミクロネシアで約1万名のジカウイルス感染流行がありましたが、この流行時の小頭症発生は僅かであり特に注目されませんでした。このことと、今回のブラジルでのジカ熱感染大流行と小頭症の多発がブラジル東北部に集中する傾向があることとを考えるといろいろ問題がありそうです。

今回流行しているジカウイルスの遺伝学的解析の結果は、まだ一般に公開されていないようです。遺伝子操作による人為的なウイルス改変の可能性も否定できません。ジカウイルス感染に伴う新生児の小頭症等の脳障害があるとしても、その脳障害の原因がウイルス感染単独によるものか、あるいは他の要因(薬剤等)またはそれらの複合的な結果によるものかも未解明のままです。しかも、今回のCDCグループの特別報告の中でも言及されているように、ウイルス感染による動物実験の結果はいまだ研究途上とのことです。したがって、新生児の脳障害に関する原因究明に関しては、さらなる疫学的調査とともに今しばらく時間がかかりそうです。

 なお、前号の本誌の中の「ジカウイルス感染症(ジカ熱)の大流行」において、ジカウイルスが1947年にアフリカ(東部)のウガンダにあるジカ(地域の)森において「アカゲザル」から初めて分離されたと書きました。しかし、アカゲザルは本来的にアフリカには棲息していません。当時、黄熱病の感染実験のためにロックフェラー財団の科学者たちがアジアから現地に持ち込んだアカゲザルから分離されたウイルスとのことでした(当会の本庄重男先生からご教示いただきました)。

 

 

■科学者として 科学研究者と軍事共同                    

新井秀雄(代表幹事)

戦争と飢餓と感染症                           

代表幹事 新井秀雄

 

2015年から内戦の続くアラビア半島の南西に位置するイエメン(Yemen)について朝日新聞デジタル版(2017126日)は、「最悪の人道危機 イエメン内戦 800万人」が飢餓と報じた。米国支援のサウジアラビア軍の空爆とイランに支援された反政府勢力との軍事衝突による凄惨な内乱(代理戦争)が引き続き、水道はじめインフラや病院が破壊され、救援物質が届きにくい状況が現在も続いている。総人口が約2700万人のうち実に約800万人以上が飢餓状態という世界最悪の事態に陥っていると報じた。戦争遂行のために食料が偏在集中(徴発)されてしまい、逃げ惑う一般民衆が飢餓状態に陥るのは歴史的にも珍しいことではない。

 WHO編集の統計がProMEDに出ている。これによると同国のコレラ疑似患者の累計は、去年58日当初 1,360人(死者25人)であったのが同年117日には 910,996(死者2,195)、そして本年17日には1,029,717人(死者2,241人)を数えた。この統計は、疑似患者と死者の統計であり、コレラ確定診断に基づくものではない。無論、戦乱下の状況では確定検査を求めるのは無理であるが、コレラの症状(特徴的な水様性下痢頻発)から推定して、かなりの部分は真性のコレラと思われる。致死率が0.22%と低いがその理由はいまだ不明のままである。水分の補給療法によって近年のコレラ疾患の死亡率は往時に比べて激減し、かならずしも治癒困難な感染症とはみなされなくなっている。しかし、イエメンの広範な飢餓状態と打ち続く戦乱を考えると今後どのように病態が推移するのか、大量の難民発生もあり、人口が激減しかねない。さらに、イエメンではジフテリア症の発生も増加しているとのWHO報道があった。昨年1221日 333人の疑い例 35人死亡。直接の戦闘で人命が奪われる以上に多くの民衆の生命が飢餓と感染症で喪失されることが危惧される。ナチスのユダヤ人ホロコーストと飢餓、レニングラード包囲戦での飢餓、日本帝国軍関連の飢餓等々、直接の戦闘以上に酷く悲惨な歴史が今もなお現実のこととしてあるのかと暗澹たる思いである。

 

参考:

「戦争と飢餓」(リジー・コリンガム著 宇丹喜代実/黒輪篤嗣 訳 河出書房新社)

「疫病と世界史 上下」(W.H.マクニール著 佐々木昭夫訳 中公文庫)

 

 


■狂犬病の治療法であるミルウォーキープロトコールから見えてきたもの       

                             新井陽子

 

退職してから随分と時間が経ち、狂犬病の研究がどうなっているのかフォローしていない。私の最後の仕事は、中央アジアのコウモリから分離されたAravan virusKhjund virusが遺伝子解析の結果、Genotype 1(狂犬病ウイルス)に属さない新しい遺伝子型のリッサウイルスであることがわかったことである。これらのウイルス以外にも多くの新しい遺伝子型のウイルスが分離されてきている。今後リッサウイルスがどう分類されていくのか気になるところである。そして日本の狂犬病は、1957年にネパールで感染し死亡した症例以降なかったが、2006年にフィリピンからの輸入感染症例が2例報告された。また長く狂犬病清浄国と思われてきた台湾で、2010年頃から野生動物、イタチアナグマに狂犬病が発生していることが確認されている。そして、狂犬病の治療においてワクチンもγグロブリンも投与されずに、狂犬病の症状を示した患者が治癒されたというニュースが話題となった。この治療法を巡って様々な論争が起こっている。

狂犬病の治療法

まず、狂犬病の対策としては2つの方法がある。曝露前ワクチン接種―狂犬病の流行している所に行く、あるいは狂犬病の動物等と接触する危険性のある人にあらかじめワクチンを予防的に接種する。曝露後ワクチン接種―狂犬病が疑わしい、あるいは、狂犬病の動物に接触して咬まれたり、ひっかかれたりして傷口等からウイルスに感染する恐れがある場合にワクチンを曝露後に治療として接種する。この場合、狂犬病ウイルス抗体のγグロブリンを咬まれた部位に振りかけたり、または接種するという方法が併用されている。そして、幸運なことに早期にこれらの治療を受ければ感染発症が抑えられる。しかし咬傷部位が顔や頭等の場合、また治療の開始が遅れた場合に助からないことが報告されている。不完全な曝露後免疫が行われた場合に、後遺症を残して助かった症例も報告されている。

「ミルウォーキーのプロトコール」による治療法

2014年に曝露前、曝露後の手当をしないにもかかわらず助かったという世界ではじめての症例が報告された。この成功例は、「ミルウォーキーのプロトコール」と言われている治療法であり、米国ウィスコンシン州ミルウォーキーの小児病院で小児科医であるRodney Willoughbyによって開発された。患者をケタミンおよびミダゾラムで昏睡状態に誘導し抗ウイルス剤のリバビリンおよびアマンタジンを投与し、ウイルスを攻撃する抗体および細胞性免疫の産生を待つという方法である。狂犬病の患者を昏睡状態に置き、脳の活動を停止させて脳を守るという。そして患者の治療は集中治療室で医師、看護師等の厳重な管理のもとで行っている。この方法による成功例が発表されて大きな話題になった。狂犬病の症状が現れている患者をこの治療法で生存できた症例では、Jeanna GieseUSA)、Precious Reynolds USA)、Mateus dos Santos da SilvaBrazil)、その他(South Africa)、(Dominican Republic)らの症例が知られている。

治療法への反論  

一方、タイの狂犬病の研究者で、狂犬病患者の治療の専門家でもあるThe Queen Saovabha Memorial InstituteWilde HenryThiravat Hemachudha 、またカナダのManitoba 大学の狂犬病の神経病理学で著名なJackson ACらは、「ミルウォーキーのプロトコール」の治療法は狂犬病の治療に効果はなく、使用すべきないと報告している。彼らはこの治療法が有効なのでなく、ほとんどの生存者は発症前に1回以上の狂犬病ワクチンやγグロブリンが投与されていると主張している。しかし、唯一、Jeanna GieseUSA)の症例だけは、ワクチンやγグロブリンを全く接種していないことが確認されている。

ヒトの狂犬病の場合、症状がでれば100%致死させるウイルスなのか?

Jeanna GieseUSA)の成功例は、左人差し指をコウモリに咬まれており、コウモリ由来のウイルスでもともと病原性の弱いのかもしれないと推測されている。ヒトの狂犬病の場合、症状がでればほぼ100%致死させるウイルスと言われてきたが、今回の生存症例が示すように生き残る可能性が出てきた。

動物の場合では、マウスの動物実験で脳内に弱毒の狂犬病ウイルスを接種後、痙攣をおこし後肢等に麻痺を起こしながら死なないで一見健康に見えるまで回復するマウスがいることを筆者も経験している。またタイの健康な犬(ワクチン未接種)に狂犬病ウイルスの抗体を保有する犬が14%いるとの報告もある。

ヒトの場合、20105月にペルーの保健省とCDC(アメリカ疾病管理予防センター)が吸血コウモリ(Desmodus rotundus)による狂犬病の流行地であるペルーの2つの地域を調査した。 その結果、狂犬病ウイルス中和抗体(rVNA)が検査したヒト血清の11%(63例中7例)に検出された。 rVNA陽性者の86%(7例中6例)がコウモリに咬まれたと報告している。コウモリ由来の狂犬病ウイルスに感染して抗体を産生し、ウイルスが排除されたと考えられる。フロリダのアライグマのハンター、カナダのイヌイット、アラスカのキツネのハンターからrVNA陽性者がいるとの報告があり、狂犬病ウイルスの暴露が致命的でないことが示唆されている。

今後に向けて

Jacqueline Weyerらは、狂犬病による後遺症が残っているものの13例が命をとりとめていると2015年に報告しており、その症例の中にこの「ミルウォーキーのプロトコール」による生存者も含まれている。成功例の背後には失敗例が多く、Jeannaの場合、費用が80万ドルもかかっている。 治療法の開発者のWilloughby は、犬による動物実験でそのメカニズムを研究したいと呼びかけているが現在まで応じる研究機関はない。コウモリの咬傷例では咬傷に気づかず曝露後の治療が遅れた患者のために、新しい抗ウイルス剤、免疫療法、神経保護療法を含む治療法や集中治療室の開発は今後も必要であろう。       

また、20181月のProMEDの情報では、Willoughby 80例の患者に試み、18例の生存者が期待できそうだと報告している。個々の既往歴等の詳細は発表されていないので、18例ものこの数字をどう解釈して良いのかわからない。前述したように、非致死的狂犬病ウイルスの曝露が、ウイルスの病原性、咬傷部位、ワクチンとの関連、宿主側の免疫機能等様々な要因によって症状を出しても生存できる可能性があるのかもしれないと考えられる。 

発展途上国等においては、現在の組織培養ワクチン、γグロブリン等の使用が財政的にも大きな負担となっているので、もっと安価で良質のワクチンおよびγグロブリンの普及がより急務と思われる。またコウモリによる症例では、咬まれた本人に自覚がなく曝露後の治療が遅くれる場合が多いので、南米の地域によってはコウモリの狂犬病の危険性が十分に周知徹底されていないのでその啓発活動が一層重要となっているのが現状である。

 

参照

1、       Yohko T. Arai, Ivan V. Kuzmin, Yosuke Kameoka, and Alexandr D. Botvinkin. New Lyssavirus Genotype from the Lesser Mouse-eared Bat (Myotis blythi), Kyrghyzstan. Emerging Infectious Diseases 2003, 9, 333-337.

2、       厚生労働省。フィリピンからの帰国後に狂犬病を発症した患者(輸入感染症例)について。  

20062例、平成181116日、17日、1122日、1207日。

3、       農林水産省 消費・安全動物衛生課。台湾における狂犬病の発生について。平成15920日(1111日更新)。

4、       Jacqueline Weyer, Veerle Msimang-Dermauxa, Janusz T Paweska, Kevin le Rouxb, et al. A case of human survival of rabies, South Africa. Southern African Journal of Infectious Diseases 2015; 31(2):6668.

5、   Wilde H, Shantavasinkul P, Hemachudha T, Tepsumethanon V, et al. New Knowledge and New Controversies in Rabies. J Infect Dis Antimicrob Agents 2009; 26:63-74.

6   Jackson AC. Human Rabies: a 2016 Update. Curr Infect Dis Rep. 2016;18 (11):38. Review.

7   Amy T. Gilbert, Brett W. Petersen, Sergio Recuenco , Michael Niezgoda , et al. Evidence of Rabies Virus Exposure among Humans in the Peruvian Amazon. Am J Trop Med Hyg 2012; 872:206-21.

8、   RABIES (04): AMERICAS (USA, BRAZIL) BATS, HUMAN EXPOSURE,MILWAUKEEPROTOCOL 2018-01-12 13:56.



 科学の中立性が疑いないものと思い込む現役の科学研究者が存外多い中で、軍関係から助成される研究費を期待する風潮が強くなってきている。昨年6月に出版された、「科学者と戦争」(池内 了著、岩波新書)がこの間の経緯を含めて詳述し、「軍学共同」の傾向を強く憂慮している。

 科学の中立性を安易に信じて研究に邁進する同僚研究者たちの中にあって、筆者も時に不安になり腹立たしい気分になることも少なくなかった。日本軍「731部隊」の力を利用した基礎医学研究者たちは、敗戦から今日に至るまで、組織的な反省を公表することがなかった。そして、科学の中立性と研究の自由の名のもとに再び「軍学共同」が正当化され始め、個人の責任で加担するようになっているかに見える。軍事研究への参画は、結局は軍組織からの研究費助成を受けるかどうかの問題であるとの著者の指摘は正当である。感染症の研究も例外でなく、再び軍事研究に巻き込まれていく危険性がある。

バイオハザードの実際面で目下大きな国内問題の一つは、長崎大のBSL-4施設を住宅密集地へ新規建設し稼働せんとする強行策である。厚労省管轄の国立感染症研究所のBSL-4(試験検査施設)と違って、文科省の長崎大BSL-4は、基礎研究を実施する施設となる。例えば、BSL-4施設取り扱いのエボラウイルスによる出血熱は、本来的に風土病的な疾患であること、そして、流行現地での隔離が有効に働いたことで世界的な大流行に至らなかった。したがって、ワクチンや治療法の開発研究を長崎等の国内で実施することは、ラッサ熱やその他のレベル4ウイルスも含めて、緊急の問題にはなっていない。これらの開発研究は、患者のいる流行現地で実施されるべきである。ワクチンの開発には大量の感染動物実験を要するから、バイオハザードの危険も深刻な問題となる。長崎大で画策されているBSL-4が建設され稼働となると、エボラウイルス等の高病原性に関する諸研究もなされる。一方で、外国のBSL-4施設を利用して動物感染実験や遺伝子組み換え実験等を実施している高病原性インフルエンザウイルス等の国内研究者グループが既に存在している。もしも施設が稼働するようになれば、共同研究の形でもしくは施設借用の形で乗り込んでくるだろう。エボラウイルスばかりでなく高病原性ウイルス等は、生物兵器やテロ攻撃との関わりで重視されており、当然にも軍組織との共同が重要事になってくる。また、防衛省の潤沢な研究助成予算は魅力的に違いない。これらウイルスの病性を更に強大化するための動物実験や遺伝子組み換え等も国家安全保障の面から防御の名目で遂行され、予想外の事態が発生しかねない。

 「何のための科学研究を行うのか、誰のための研究なのか」(前掲書)を明確にし、一切の軍学共同を拒否するとの長崎大の覚悟が公表されるかどうか。