「自分の利益より人間の生命を大切にしたい」

ーあるバイオ研究者の科学者としての生き方ー

(新井秀雄:国立感染症研究所主任研究官)

新井 今回の講演のタイトルは、私にとって大きすぎて一言で言い切ることは難しいことだと思いますが、ドキュメンタリー映画「科学者として」(監督:本田孝義)や同名の本(新井秀雄著『科学者として』幻冬舎、2000年11月)などでここ数年いろいろな面でおつきあいさせていただいた本田さんが話を引き出す形で、なるべく映画や本と重複しないように進めていきたいと思います。

 バイオハザードに対する認識

本田 まず、新井さんにお伺いしたいと思っていたのですが、予研が品川から新宿区戸山に移転するという話がでてきた時に、それまでの長い研究生活の中で、どういう部分で周辺住民に対してバイオハザード(生物災害)などの危害を及ぼす可能性があると思われたのでしょうか。

新井 戸山移転の話が後戻りできない形で進められるまでは、より具体的には周辺の住民の方から問題を突きつけられるまでは、およそ職場の中では、バイオハザードということを実験室内感染という域を超えて考えるということはほとんどなかったと思います。青写真が示されても所内ではまだ実現性が乏しいという感覚がありました。そういう中でどんどん事態は戸山移転に向けて進行していくのです。イメージとして自分達の「塀の外」にいる周辺の人々に危害を及ぼす可能性があるという意識はその時はなかったが、周辺の人の反応でそれに直面したと言えます。私が覚えているのは、芝田先生から次々と出される質問状を通じて、 否応なく自分達が注目され、反対されていることに気がつかされたということです。質問状の中味は難しい内容で正直言って100%回答することは難しく、何とか直接対決しないで収める方向がないかという気持ちが素朴なところにあったと思います。直接計画に関わっている幹部を除いて、質問状の内容を丹念に読み自分達の問題として検討していこうという姿勢は予研の組合にもなかったし、学友会にもなかったと思います。そうした問題は幹部の人に任せて一般の研究者は日々の研究業務に没頭していました。

本田 住民から病原体が漏れる可能性あるという指摘を受けた時に、新井さんはどのように受け止めたのか、また所内ではどのような受け止め方がされたのでしょうか。

新井 実は予研内では所長の諮問機関として「将来計画委員会」というものがあって当時の品川で建て替えるのかそれともよそに移転するのかということで意見がたたかわされていました。ところが、戸山の土地が余りにも狭いことがわかってきて、それまでの議論からもこれでは将来の研究計画がたたないという反発があったのです。当時、ある研究者は生物災害の危険性を主張して戸山移転計画に異を唱えました。しかし、彼が純粋に生物災害についての具体的なイメージをもって、世のため人の為、自分をむなしくして、確固たる信念を持ってそれを訴えたのかというと、その後の彼の姿勢を考えるとそうではなかったのではないかと思われます。なぜなら、戸山移転計画が後戻りできない状態になった時、彼は沈黙してしまったからです。彼にとっては、戸山では描いていたプランと比較すると余りにも狭すぎる、もっと広い研究スペースなどの研究環境の整備が本来の希望であり、その希望を満足しない戸山移転計画を変更させる口実に生物災害問題を持ち出したとも言えるのではないかと思います。周りの住民のことより、自分の研究環境が大切だったのでしょう。ただ、そうした研究環境の充実整備を求める気持ちは私自身を含めだれしももつものだと思います。

 ですから今私たちが受け止めているようなバイオハザードということを把握していたかというと当時私自身も含めて心もとない理解でしかなかったと言えると思います。

 最小感染単位とHEPAフィルター

本田 もう少し具体的な問題に触れたいと思うのですが、予研=感染研側は裁判の中などで、例え施設から病原体が漏れても人間に感染するのに必要な量ではないつまり最小感染単位に達しない、また、HEPAフィルター(注1)があるのでほぼ100%除菌できる、ということを安全の論拠としてきました。新井さんはこうした点についてどう思われるのでしょうか。

新井 仕事では再現性がないと説得できませんし、誰もが認めるような話の筋道が求められます。HEPAフィルターの場合も、試験成績を判断の基本にすえるしかありません。すると数字の上にでているように必ず漏れるのです。それでも漏れないと言い張るのはある種の「信仰」の問題とも言えます。試験結果と言っても1回やったから問題なしとするのではなく繰り返しやる必要があります。条件がかわれば数字も容易に動くものです。HEPAフィルターの試験は工場の中の設備の非常にととのったなかでの数字だということに留意する必要があります。そもそも「形あるものは必ず壊れる」と思います。いかに整ったものでも必ず綻びがでることを考えねばなりません。一方、HEPAフィルターについて安全を頑なに主張する背景には、遺伝子組み換え実験をめぐる推進側の安全の根拠がHEPAフィルターだからでしょう。立地を問題にせずになんとか施設内の問題にとじこめたいという政策的な意図があるように思います。
 最小感染単位については例えばペスト菌は少なくとも動物実験を見る限りでは1個でも条件さえ整えば感染するもののようです。病原体によって感染力に大きな差がありますが、結局、感染を受ける側の人間の健康状態に左右されると思います。研究施設という塀の中は、60歳までの健康な成人だけというある種特殊な環境です。塀の外は、赤ちゃんから老人、大手術をした人、免疫疾患の人もいます。普通の健康人なら考えられないような弱い病原体でも「塀の外」では被害が発生するものです。自分達が感染しなくともまわりの人が感染するかもしれないという想像力やイメージを持つこと、バイオハザードをどういう立場で受け止めるかということが大切です。科学というと客観的で正しいものだという偏見があります。「科学者」も自分が主張したいことについて根拠の出し方、出し方の順序によって真実でないことを主張することがあることを考える必要があります。感染研裁判の過程でいやというほど思い知らされました。

  研究者の意識

本田 新井さんのようにバイオハザードの危険性を指摘する研究者は所内には他にいないのですが、新井さんと他の研究者の違いについてどう思われますか。

新井 職場を離れて家に帰れば皆生活者としての一面を持っています。職場内の意識だけですべて終始しているとは思われません。したがって、戸山の住民の悩みやストレスを理解できない訳がない、当然わかっていると思います。じゃあ、それならどうして対応しようとしないのかという問題に組み替えると、唯一それは、自分達の職をずっと続けていきたいからだということにたどりつかざるを得ません。もし、彼らも自分の家の隣に核物質の廃棄場ができるとしたら真っ先に反対するでしょう。自分の家族を直接危険に曝す訳にはいかないからです。それでも安全だと主張する程、「科学技術」を信頼している人は所内にはいないと思います。

本田 それはバイオ施設でも同じではないでしょうか。例えば、P4施設が家の隣にできるとしたらどうでしょうか。

新井 以前の私の上司が戸山移転に際して、自分は周辺に対して危険だとは思わないと言ったので、それではあなたのお父さん、お母さんはどうでしょうか、一緒に研究所の隣で生活できますかと尋ねたところ、その人は沈黙してしまいました。病原体を扱っている人は扱っている病原体そのものについてよく知っているので、自分自身を基準に考えた場合「危険だと思わない」という反応になるのでしょうが、家族を基準にした時に、研究所の隣に住もうかという人は感染研にはいないのではないでしょうか。かってイメージしたことがあるのですが、研究施設を広大な敷地に建てる、そしてそれをとりまくように研究所員と家族が生活する社宅をたて、その外側に一般の人が住むようにすればよいと思います。例えば原発の近くに少なくとも電力会社の社長が住んでいないのはおかしなことです。

本田 89年に提訴した感染研裁判では今年3月に一審判決が出されましたが、新井さんに対する感染研などの言論弾圧に対し新井さん本人が今年裁判を起こされています。この十数年を振り返ってみて、何が新井さんをそこまで動かしているのでしょうか。

新井 本日の「自分の利益より人間の生命を大切にしたい」という大変なタイトルですが、私は自分をむなしくできるほどの人間ではありませんが、このタイトルの後半の「人間の命を大切にしたい」という思いは誰しもあると思います。自分の命を大切にするには自分以外の人たちの生命も大切にしないと成り立ちません。すべての人が幸福にならないと個人も幸福になれないというのは真理だと思います。他人の生命が大切にされる中でこそ、自分の生命も大切にされるのです。
 また、「人を殺してはならない」ということは当然のこととして受け止められます。しかし、人間の世界で正しいと言われる「人を殺してはならない。生命を大切にしなければならない。」という真理と言われるようなことも人間の世界である以上、相対的なことに過ぎないのだということを感じます。人を多数殺すことが求められる戦争はその良い例です。それなら、生命の大切さ、正しさということも時と場合により変ってくるのではないか、どうも感染研の人たちの心の中にはどこかにこうした論理が働いているように思います。
 「一殺多生」という言葉があります。多くを生かすために一人を犠牲にすることです。かつてナチスや731部隊でもそれに関わった人の心のどこかにあったのではないかと思います。それを口実に人を殺すのは許されないことだと思います。戸山で工事中大量の人骨が発見された時(注2)、当時の感染研の部長の一人が「軍隊では何でもありだ」ということを言っていましたが、私達医学に関わる者のどこかにそういう思いがあるのではないか、非常にうとましい気持ちになります。

(編集注)
1.HEPAフィルター:高性能フィルターで定格風量において0.3ミクロン単分散DOP粒子99.97%以上捕捉するなどの性能を持つもの。
2.大量の人骨:89年7月戸山庁舎の建設現場で大量の人骨が発見された。731部隊関連の犠牲者の人骨としか考えられないと報道された。


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