■科学者として                                 

                                                                       新井秀雄(代表幹事)

 

H1N1豚インフルエンザウイルス騒動

 

 4月半ば過ぎに、米国のカルフォルニアとテキサスでH1N1豚インフルエンザウイルスに似たウイルスに子ども2人が罹患したとの報告がでた後、同月下旬になってメキシコで死者が瞬く間に60名を超えさらに急増する事態の報道が世界を駆け巡った。

 その後、当初混乱していたメキシコでの事態は、実験室で確定されたものが統計されるようになり、その結果、メキシコ、米国、カナダで患者発生が多く、死亡者数もこの順で推移してきた。その後の確定件数は米国が最多となり、523日でのWHOの統計では、世界で43カ国、12022名の患者(メキシコ3892名、米国6552名、カナダ719名、日本321名)死亡者86名(メキシコ75名、米国9名、カナダ、コスタリカ各1名)となっている。

 当初メキシコでの事態から懸念された強い病原性は否定され、例年のインフルエンザ(季節性インフルエンザ)流行と特に変わることのない弱病原性のものであるとされたが、一方で人から人へ感染する力(感染性)が強いとの報道もなされている。しかし、毎年の季節性インフルエンザに比べて特に感染性が強力かどうかの根拠は明確でない。

 病原性が例年の季節性インフルエンザ並みであることが判った時点で、特別な対策は不必要となったはずであるが、海外からの人による持込を水際で防ぐ成田、関空等の検疫システムが実際の防疫に有効でないことがはっきりした。

 それまで、主として東南アジアでの高病原性鳥インフルエンザH5N1ウイルスに人が感染し、死亡する事例が報道されており、このウイルスによる人から人へ感染が流行するようになることが懸念されていたが、今回の豚インフルエンザウイルス騒動の陰に隠れてしまったかのようである。エジプトでは、政府による養豚の殺処分の強行が早々と取りざたされ、養豚業者の強い抵抗にあっているとかの報道もある。高病原性H5N1鳥インフルエンザの感染例は、東南アジア以外ではエジプトでの発生例が突出しており、522日のWHO報告では74名の患者、27名の死亡者となっている。鳥と人のインフルエンザウイルスが豚の体内で組み換えを起こした結果、過去のスペイン風邪のような世界的大流行を起こした強病原性の変異ウイルスが出現したとされているが、エジプトだけでなく、東南アジア全域ないしは世界中の豚を殺処分することができるとは到底考えられない。

 今回のH1N1豚インフルエンザでは、最近の高病原性鳥インフルエンザの場合と違って、豚での感染死亡が大規模に起こっているとの報告はない。このウイルスが人−人感染の中で、あるいは人−豚感染の中で高病原性のものに変異することの可能性がないわけではないが、より一層弱毒化(弱病原性化)する方向の変異も当然可能である。

 511日、オーストラリアの研究者であるAdrian Gibbsとマスコミとのインタビューが報道された。今回流行の豚インフルエンザウイルスが人為的に実験室の中で造られたものであるとの内容であった。これに対するWHO(実質的には米国CDC)の反応は速く、わずか1週間ほどで、人造ウイルスの可能性はない(自然発生のものである)と言明した。今後の詳細発表が待たれる。このあたりのことは、乃木生薬研究所のホームページがよく収集しているので参考になる。

http://www.botanical.jp/lib_id1-090515113545.php#search_word=Gibbs

 豚インフルエンザといえば、19762月に米国ニュージャージー州にある米陸軍基地(Fort Dix)で当時19歳の兵士が感染して死亡した事例が有名である。その時の検査により、同基地で少なくとも500人以上の感染者がいることがわかり、当時のフォード大統領は保健衛生当局の勧告に従って、同年10月に全国的規模の一大予防接種プログラムを開始した。その結果、この予防接種の副作用で500人以上がギラン・バレー症候群を発症し30人以上が死亡した。ところが、結局のところは、感染は基地内にとどまり、しかも感染による死亡者は件の19歳の兵士一人だけであった。これは、1918年のスペイン風邪に匹敵する事態発生を恐れた当局の一大失策として以後に貴重な世界的教訓を遺した。しかし、にもかかわらず、来る冬のインフルエンザシーズン前には、今回は豚インフルエンザウイルス株も含めたワクチンが大量生産され、例年以上にワクチン接種が強力に勧められる可能性がある。その結果の副作用による被害は、最終的には自己責任ということになるのであろうか。http://www.wired.com/science/discoveries/news/2008/03/dayintech_0324 参照。

 疫学調査の様子が報告されはじめたが、それによると、今回は60歳代以上の高齢者での患者発生は少ないとのことで、なんらかの免疫状態が推定されている。この世代が、もっと若い世代に比べてとくにワクチン接種を頻繁に受けていたとは考えられず、自然の状態(季節性のインフルエンザに曝露されてきた結果)で獲得した免疫状態に違いない。日ごろの健康管理で自然界での事象に対する抵抗力を身につけていくことが現実的な対処となる。

                              (525日 新井秀雄)

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