■科学者として                               

新井秀雄(代表幹事)

癌溶解を目指す「ウイルス療法」の安全性について      

 

 前回の会報(第75号)に癌溶解の「ウイルス療法」、特に遺伝子操作で改造したヘルペスウイルス株による「副作用も後遺症もない革命的ながん治療」と自賛されている国内の研究開発について簡単に紹介した。一方で、ヘルペス症例等からの分離株の中から選別することで(つまり特別な遺伝子操作を加えないで)「ウイルス」治療に適用する努力もなされている。いずれの場合も、その安全性については、可能な限りの慎重な検証が不可欠であるが、患者本人に対する安全性はもとより、バイオハザードの面でも注視する必要がありそうだ。

 ヘルペスウイルス遺伝子の一部を欠損させて作成した「ウイルス治療」候補のウイルス株については、元株が持つていた病原性に関して「弱くなることはあっても強くなることはあり得ない」との理論的な主張がなされているが、このことは実際に検証される必要がある。(人為的な遺伝子操作を加えない)症例分離由来株であれ、また遺伝子操作したウイルス株であれ、生体内に接種されたとき突然変異する可能性がある。ポリオなどの生ワクチンウイルス株が、ワクチン接種された人体の中で変異して体外に出てく事例が実際にあることはよく知られている。種々の癌患者の生体内を通過した「ウイルス療法」のウイルス株が変異して、各種レベルの健康状態の他の生体に対して病原性を発揮する可能性がないと断定できるだろうか。とりわけ遺伝子操作した病原性ウイルス由来のウイルス株による「ウイルス療法」の実施は、遺伝子操作改造ウイルスの「野外放出」の事態と言えるから、その安全性の検証について一般市民(ウイルス療法の受け手でもある)にも理解できるように説明され、また「野外放出」に対する厳重なバイオハザード対応が求められる。今から10年前に、バイオ施設からの漏出の疑いが議論されていたSARS(重症急性呼吸器症候群)のウイルス出現と大流行が想起されるが、病原性ウイルス由来の遺伝子操作ウイルスの「野外放出」がどのような事態になるのか予想もつかない。

 上記のことと関連するが、治療用のウイルスを接種された癌患者本人の癌の細胞内で急速に増殖した大量のウイルス粒子は、その後その患者体内でどのような経過をたどるのか。外科療法、抗癌剤療法、放射線療法とも違った「ウイルス療法」を適用した結果、癌の細胞が消滅した場合の本人の健康状態は、他の平常の健康状態と基本的に同じなのかどうか。また、癌患者であると同時に他の疾患も合併している場合もある。「ウイルス療法」の適用結果、体内に大量に増殖したウイルスを効果的に排除しうる身体状態(免疫状態)になっているかどうか。この点に関しては、各種の癌状態の動物以外に、免疫不全状態や各種の基礎疾患状態などのストレス下にある動物などに対する「ウイルス療法」ウイルス株の大量接種試験も不可欠である。

 「ウイルス療法」実用化に向けて開発努力が急ぎなされているが、実用化に当たっては病原体に関する安全性の問題を慎重にも慎重に検討してもらいたい。


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