現代のバイオ技術と立花隆の役割

ー立花隆の無知蒙昧と不遜・傲慢を徹底批判するー

本庄重男(当会代表幹事)

《「バイオ安全研ニュースレター、No.8、2000年7月」より》


はじめに

 今日の講演の主役は若手の科学ジャーナリストの粥川準二さんでございまして、私は前座を務めさせていただきます。今日的なこういうテーマの場合には、私は若手の方が取り組んでいただいた方がはるかに迫力がでると常々思っています。

私は高齢市民の感覚で、かつバイオテクノロジーに関して少しばかり広い分野で研究をやってきた者としての感覚で、今日は勝手なことを言わせていただきます。ただ、勝手なことと申しましてもターゲットがないと話しづらいので、「文芸春秋」の2000年3・4・5・6月号に連載された立花隆さんの「21世紀−知の挑戦」という論文に現れております彼のバイオテクノロジーに対する考え方や言動などを俎上に乗せて私の意見を述べてみたいと思っております。



T 現代技術とくにバイオ技術についての私の基本的見解

本題に入る前に、私のバイオテクノロジーについての基本的な考え方をまず大雑把に述べておきたいと思います。

《現代では科学と技術は一体化する傾向にある》

科学というのは、みなさんご承知のように、18世紀、19世紀くらいから少しずつ形をなしてきたという学問ですね。一方、技術と申しますと、これは人類の誕生以来、30万年前から100万年前くらいに原人が火を使いだしたといわれるころから、人類ないしは人間の生活にとってなくてはならない言わば生活の要素として人間と一体となって人間社会を形作ってきました。自然を加工したり、操作したりして、人間自身に役立たせ、技能を生かして物を創り出すシステム、そういったものは科学よりはるかに古くから存在してきたわけです。

一方、科学はせいぜい200〜300年程度の歴史しか持っていないと言われています。そして、科学と技術というのは概念的には本来は同じものではなかったということ、しかし、今日では科学というのは言わば技術化して人々の実生活に役立つというのが何よりも重要だということになってきました。それから、科学そのものが進展して行くためにも、技術を大いに利用しなければいけないというそういう傾向を持つようになってきているのであります。たとえば、生化学の分野をみると自動分析装置とかPCR法とかですね、そういうテクニックを持った研究者でなければ研究者とはいえないような時代になってきております。

一方、技術の方も単に経験的な要素だけではなくてですね、科学の基盤とか科学の後ろ盾があってはじめて世の中に広く通用するという認識が強くなってきています。結局、技術は科学化した、科学も技術化したということで、今日的には、科学と技術は一体化しているという認識ができるのではないかと思います。

《生物学・分子生物学とバイオテクノロジーの相互作用》

バイオテクノロジーといわれるものに関しましても、基本的には全く同じことが言えます。18世紀頃から生物学という学問が生物の構造や機能とか存在様式についての認識を深め、生物と生命の法則を解明することを目指して発展してまいりました。他方バイオテクノロジーは人類の歴史と共に進んできている。野生植物を農耕という技術で食用に栽培するとか、野生動物を家畜化して人間の食料とかいろんな原料にするとか、そういうことはもう人類の歴史と一体化して進んできました。

そして今日では、バイオサイエンスはバイオテクノロジーの発展を促す原動力または不可欠の要素となってきております。と同時にバイオテクノロジーの多くが生物学とくに分子生物学の分野での実験や研究のための道具として非常に必要なものとなってきております。

そういう基本的な傾向だけではなくて、いわゆるバイオテクノロジーというのは、今日の社会では、食品とか薬品さらに医療の分野で不可欠の技術として資本主義的経営の利潤を保証、確保、拡大するという大事な要素になっているということをきちんと踏まえる必要があると思います。

そういう状況の中ではバイオテクノロジーを推し進めようとする人々とその「成果」を受けさせられる立場の人々との間で色々と複雑な関係が出てきております。時に、利害が対立する関係にあることについては皆さん重々承知しておられるでしょう。われわれは実生活の場面においては単に評論家的な立場でああだこうだと言ってるわけにはいきませんから、やはり自分自身の立場を踏まえて当面するバイオテクノロジーに対してどういう態度をとるかということを時々刻々自分で判断し行動していかなければならないということであります。

私はこの3月に愛知大学を退職しまして、自由な身になって文字通り一市民として、消費者市民としてこういう問題にかかわっていかなければいけないと思っておりますが、この席では、バイオテクノロジーを礼賛する論文をずっと「文芸春秋」に連載している立花隆さんの論文を読んだ感想を中心に話を進めて参ります。



U わが国のバイオ技術界の現況において立花氏の果たしている役割

《科学評論家としての立花隆氏》

実際に、今日のわが国のバイオ技術界において立花氏がどういう役割を果たしているのかについて考えてみたいのですが、私は立花氏という評論家を特別によく知っているというわけではありませんが、大変な秀才で多才な人という印象を持っております。彼がカバーしているいろいろな領域を同じように扱いうる日本人の評論家はそう多くはいないと思うぐらい広い知識を持った評論家であると感じるわけであります。

例えば、自然科学や技術の分野だけを挙げても、立花さんが関係する分野というのは、脳死、臓器移植、脳神経、免疫、遺伝子治療、果てはサルの生態学の分野等々バイオサイエンスの分野全般にわたっています。それのみならず原子核物理とか天文とか宇宙、コンピューターなどの物理科学や情報科学・素粒子についても、あるいは最近になりますと環境ホルモンなどについてもいろいろと紹介、解説し、縦横無尽の活躍をしている方ですね。

《人事院の講師を勤めた立花隆氏》

「文芸春秋」の6月号には、立花さんが人事院の講師として話したことが出ております。新規採用になったいわゆる特権官僚の卵たちに、4月・5月の研修期間にバイオテクノロジーの現状等について非常に発破をかけるような講演をやってるんですね。お前らこういうことを知らないのか、こんなことを知らなくてはこれからの高級官僚は務まらないぞ、などと言うような調子です。

彼くらい一人の頭脳でいろいろ高水準の知識を理解して啓蒙する文章を書くというのは容易なことではないと私なんか半ば感心して、呆れて開いた口がふさがらないのであります。とにかくそういう意味での立花氏の努力や才能には敬意を表したいと思います。


《立花隆氏の論調の3つの特徴》

しかし、彼の論調をじっくり検討しますと次のような3つぐらいの特徴があると思います。

立花隆氏の解説は今日の科学・技術の推進派の受け売りにすぎない

第一は、現在の科学技術の主流の考え方、あるいはカッコ付きで言われるところの「実績」ですね、こういったものを無批判に肯定して紹介している、思慮の浅い研究者達や、学会の「権威者」から取材し聞きとったことを巧妙にアレンジして人々に伝えていく、そういうことだけですね。

言い換えれば、彼の解説というのは、今日の科学技術の開発の推進者側の意見だけで成り立っていて、それらに対する批判的見地を一切持ち合わせていないのではないかと思われるのです。だから、彼の書く解説というのは、今日の学界や技術界やバイオ企業のいわば御用新聞の少々「水準の高い」解説記事のような感じがするのであります。

自らの意見は科学技術礼賛と大衆蔑視の表れにすぎない

第二に、彼はそういった解説をしながら巧妙に所々に自分の意見を指しはさんで、筆を進めるわけです。でもその意見というのは、煎じ詰めれば、バイオテクノロジーの発展は誠に素晴らしいと、今では科学技術の力で驚くべきことが実現しているんだ、あるいはこのすばらしい科学技術の成果を多くの人々が理解できないであれこれ文句をつけるのは無知蒙昧なるが故のことだ、といった類の科学技術礼賛や大衆蔑視の意見に尽きるわけですね。

科学的な事実の正確さに無頓着な立花隆氏

第三に、彼の記事にはよく注意してみますと間違った記載が結構ちりばめられています。私が気づいた誤りだけでもかなりあるわけです。本質的に重要ではないとしても、科学的事実の記載については細部まで正確であるべきなんですけれども、立花氏は意外に不注意であります。

◆肝臓が非分裂細胞だって?

例えば、3月号の121ページでアメリカの学者にインタビューして、その学者の意見として引用しているのですが、「肝臓も非分裂細胞、肺臓も非分裂細胞」と平気で書いています。皆様もご承知のように、最近まではずっと生後は絶対に分裂しないというふうに生物学者や医学者に信じられてきた神経細胞でさえ分裂することがあるということが最近分かってきた。そういう時代なんですけれども、肝臓なんかは、みなさんご承知のように、部分肝移植などで切除してもすぐに分裂・増殖して元の肝臓の大きさに戻ってしまうんですね。ですから肝臓が非分裂細胞などというのはとんでもない話ですが、そういうところを彼は平気で過ちをしていますね。

◆大脳と前頭葉の用語上の区別を無視する立花氏

それから5月号の293ページで「前脳(前頭葉と間脳)」と彼は書いている。これは間違いです。前脳というのは「大脳と間脳」というふうに書かなくてはいけないのです。あら探しをしているようですが、そういう細部への配慮が足りないですね。 前頭葉というのは確かに大脳の一部ではありますけれども、大脳=前頭葉という言い方は間違いです。大脳を葉別に言うならば、前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉と言わねばならない。

要するに彼は、今日達成されているバイオサイエンスやバイオテクノロジーを世の多くの人々が無批判に受け入れ賛美し期待するように導くという役割を担っているようです。遺伝子組換え食品についての意見をみても、 モンサントの意見をオウム返ししているだけではないかという印象を持ちます。



V 立花氏の恐るべき傲慢不遜さ

彼は遺伝子組換え食品に反対している人々に対して恐るべき傲慢さと不遜さを感じさせる言葉を投げかけています。要するに反対しているものはレベルが低いということを繰り返し言うのです。

《矛盾したことを平気で言う立花隆氏》

しかし、そういう彼自身が矛盾した事を言っています。最近ではたとえば、マウスの実験でファージを飲ませて腸管から血液や臓器の中にファージのDNAが入りこんでいくことが検出されています。つまり、昔はDNAを飲んでも分解されてしまい、影響なしと言われていたのですが、現在ではそれを否定するようなデータがでてきています。

立花氏は3月号では、DNAが体の中に入って異種のDNAと結合するというのは荒唐無稽の心配だとしています。ところが、4月号になると、遺伝子治療のロス博士の言説を引用して、やがてはDNAの薬を飲めば遺伝子治療ができるようになるのだということを平気で書いています。たださすが自分でも気になったのか、これは3月号で書いたのとは矛盾するがと言っています。

《人間も遺伝子組み替えの産物だって?》

3月号117頁の上段から下段にかけて、「人間も遺伝子組換えの産物だ」として、一般には自然界に遺伝子組換えは広くあると言い、遺伝子組換えが自然の摂理に反するという言説たとえば安田節子さんの意見はとんでもない誤りだと書いています。

自然界に遺伝子組換えが広く存在するとのべることは一面では正しいのですが、人間は遺伝子組換えの産物かというと、決してそんな単純な話で済むわけはありません。

遺伝子組換えには「相同遺伝子組換え」と「非相同遺伝子組換え」がありますが、「相同遺伝子組換え」は有性生殖生物あるいはその細胞ができる過程で減数分裂が起こり完成した精細胞と卵細胞が受精するというプロセスでみられるように、同じ遺伝子構成の染色体同士の組換えです。

この「相同遺伝子組換え」は自然界に広くあります。しかし今日、バイオテクノロジーで言われているのは非相同つまり異種の遺伝子間での組換えのことです。確かに、異種間の遺伝子組換えは自然界でまったく起こっていないということではありません。これが進化の要因だという学説もあります。

しかし、それは、多くは宿主にとって良くない結果を起こします。例えばアグロバクテリウムという土壌菌がありますが、この菌の持っているガンを引き起こす遺伝子―Tiプラスミドと言い植物の分野でベクターとしてしばしば使われる−は異種の生物に入り込んでガンを引き起こします。こうした遺伝子は確かに存在しますが、だいたいが悪い効果しか及ぼしません。またそう滅多に起こるものではありません。

しかし、遺伝子組換え実験とは、それを無理矢理、はるか異なる種を超えてやってしまうものです。ですから、立花氏が言っていることとは全然違う訳です。

《立花氏の見解には生物進化の視点が欠落している》

また、立花氏の言い方には、生物の進化の視点が抜けています。30億年の歴史を経て現在の生物があることを無視しています。

確かにその過程で、非相同組換えがまれに起こり、進化に影響を及ぼしたケースもあったかもしれませんが、それは進化のプロセスの中で起こったということであり、現実には数百万種あるいは1千万種といわれる生物種の中で絶えず、頻繁に起こっているかというとそう簡単には起こっていることではありません。そうしたことも立花氏は無視して言っていると思われます。

《蝶を殺すBTたんぱく遺伝子を導入された植物は有益無害か?》

害虫耐性の作物つまりBTたんぱくの遺伝子を導入して害虫に抵抗をもつに至った作物が開発されていますがこういうものを非常に礼賛しています。結構なことだと単純に言っています。モンサントの宣伝そのままに、これを使うと農薬の使用量が減り作物収量が増えると言っていますが、実際に決してそんなことではないことを示すデータが、最近アメリカで発表されています。

また、ご承知のように、目的とした害虫と近縁の生物多様性の面からいっても大事な生態系を構成している蝶をやっつけてしまうということで、BTたんぱくの遺伝子を導入するのは問題があるのではないかということが言われています。

そういう異種たんぱく特に生物に対して毒性を示すようなたんぱくを発現させるように遺伝子組換えしたものを私たちは今まで摂取したことがない訳で、何が起こるかわからないという注意や関心が立花氏には欠けているようであります。

《技術が人の未来を創るのかその逆なのか?》

また、3月号の123頁には「二十一世紀、技術がヒトの未来を創る」という見出しがありますが、これは逆ではないかと思います。人が技術の未来を決めるのです。

5月号307頁には、ある空想作家の小説を紹介して彼も賛成だから書いたのでしょうが「貧富の差が遺伝子の差を生む」とあり、将来は金のあるものは高い遺伝子治療を受けて自分が好ましいと思う遺伝子を取り込み子孫に伝え、金持ちはますますいい遺伝子を持つとしています。遺伝子決定論to 環境決定論の合いの子のような意見ですが、「貧富の差が遺伝子の差を生む」などとよく言えたものだと思います。

《憂国の志士たる立花氏》

最後に、人事院の依頼で特権官僚の卵の前で話した中では、彼は科学技術創造立国という政策スローガンを無条件で認めていることが感じられます。今の若者たちは21世紀を担えるかという設問をして、日本の社会はバイオの分野についての教育も知識も水準が低く、世界の流れに完全に立ち遅れ未来はないといっています。立花という評論家は何と見事な憂国の志士なのかなあと思わぬわけにはいきませんね。まったくご免こうむりたいアジテイションです。



W まとめ−バイオ技術と市民の立場

今日のバイオテクノロジーの流れの中で私達消費者市民一人一人がどう対応するかということは誠に重要な問題だと思いますが、

《バイオテクノロジーには光と影がある》

@ まず、先端的なバイオテクノロジーには光の面とともに陰の面があり、人や動物の健康への悪影響や生態系を撹乱・破壊する作用が多かれ少なかれ存在することをしっかりと意識することが大切です。

《正確で批判的な学習態度が必要》

A その上で、今日のバイオサイエンスやテクノロジーの理論やデータを正確かつ批判的に学んで、私達自身の判断の基礎をしっかりと固める必要があります。

《市民の立場からの監視も必要》

B それだけでなくて、現実のバイオ研究やバイオ企業、バイオ医療の動きを市民の立場から監視することです。

《結語》

推進派が示す見解はよいことづくめですから常に疑いの目を持ち科学的な目をもって監視することが必要です。中立を装った推進側の御用論者のような人にまどわされないようにしなければなりません。要するに、立花氏のような無批判で饒舌で傲慢な評論家の言説に惑わされないようにしましょうということです。



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