WHOガイドライン「病原体等実験施設安全対策必携」第3版の概要と問題点

長島 功

はじめに

 昨年(2004年)、WHOの病原体等実験施設の安全対策のマニュアル(原題”Laboratory biosafety manual”)の第3版が発行された。本として出版されただけでなく、ウェブサイトから入手できる。本稿では、その概要と問題点について報告する。

 まず指摘しなければならない点は、今回の改訂にあたって、責任編集者が英国のコリンズ博士からアサモア博士に代わったことである。彼の肩書きは、WHOの伝染病部の副部長である。ただし、表紙の裏に書かれた文言によると、実際に執筆したのは米国のCDC(疾病予防センター)のメンバーである。後述するように、この点がこの第3版の内容に微妙な影響を及ぼしている。

 今回の新版は第2版に大幅な改訂を加えている。序言に今回の改訂の要点が述べられているので、それをそのまま以下に引用する。

 「第3版は全体を通じて個人の責任の重要性を強調している。リスクアセスメント、組換えDNAの安全な使用ならびに感染性物質の輸送に関する新しい章が追加された。最近の世界で起きた事件により、微生物学的因子と毒素の意図的な誤用と放出による人々の健康への新たな脅威が浮上してきた。したがって、第3版はバイオセキューリティの概念をも導入している。すなわち、微生物学的因子という言わば資産を窃盗、損失ならびに転用から守ることである。というのは、これらの行為の結果として、人々の健康に害を引き起こすためにこれらの因子を悪用することが可能となるからである。この版はまた、1997年のWHOの出版物『保健関係施設の安全性』の安全性に関する情報をも含んでいる。」

 最後の一文に関しては、『保健関係施設の安全性』のなかのバイオ施設の立地に関する勧告自体はこの版には取り入れられていないが、随所に見られる実験施設の周辺の地域社会の安全性への言及として反映されている。

 以下では、まずこの版の章立てを提示し、その次に新たにこの版で追加された項目の内容を紹介し、最後にその他の内容について第2版との異同を中心に整理する。

1.第3版の構成

 全体は9部構成で、22章から成る。以下、その章立てを示す。

1.一般原則

第1部           バイオセーフティ・ガイドライン

2.微生物学的リスクアセスメント*

3.基礎実験室―バイオセーフティレベル1・2

4.封じ込め実験室―バイオセーフティレベル3

5.高度封じ込め実験施設―バイオセーフティレベル4

6.実験動物施設

7.実験室・施設建設審査のためのガイドライン*

8.実験室・施設の認証のためのガイドライン*

第2部           実験施設のバイオセキューリティ*

9.実験施設のバイオセキューリティ概念*

第3部           実験器具

10.       生物学用安全キャビネット

11.       安全器具

第4部           適正な微生物学的技術

12.実験室での技術

13.緊急事態対処計画と対策

14.消毒と滅菌

15.感染性物質の輸送への手引き*

5部 バイオテクノロジーへの手引き*

16.バイオセーフティと組換えDNA技術*

6部 化学物質・火災・電気の安全な取り扱い

17.有害化学物質

18.その他の実験室災害

7部 安全管理のための組織体制と訓練

19.バイオセーフティ管理者とバイオセーフティ委員会

20.補助職員の安全原則

21.訓練プログラム

8

22.安全チェックリスト

9部 参考資料・付録・索引

参考資料

付録1 救急手当*

付録2 職員への予防接種

付録3 WHOのバイオセーフティ協力施設*

付録4 器具の安全性*

付録5 化学物質:災害と予防策*

(*印を付した項目は新たに追加されたものである。)

 

2.リスクアセスメント

 リスクアセスメントはバイオセーフティ確保のための活動の根幹を成すとされている。以下、この項の要点のみを記す。

リスクアセスメントは使用される病原体・実験器具・実験動物・封じ込め施設の特徴に精通した専門家の判断に基づかなければならない。いったんアセスメントが行われた後でも、得られた新しい情報に基づいて絶えずアセスメントは見直されなければならない。

 リスクアセスメントの基準は、第1章に示されている病原体等の生物物質の危険度分類であり、それに基づいて取り扱う病原体等の危険度を特定し、それに応じたレベルの実験室でそれらを取り扱う。上記の危険度分類の基準でも危険度のレベルが特定できない場合には、当該病原体等の病原性、感染に必要な最低限の病原体の個数、自然の感染経路等に基づいて危険度のレベルを特定する。

 

3.バイオセーフティと組換えDNA技術

 遺伝子組換え技術に対する評価は総じて肯定的であり、リスクアセスメントと安全対策が十分に行われれば、この技術を用いた実験は危険ではないとみなされている。以下、組換えDNA技術についての当ガイドラインの肯定的な評価を示している記述を列挙する。

     組換えDNA技術の安全性がはじめて論議されたアシロマ会議が1975年に開かれてから25年以上にわたってこの技術を用いた研究が行われ、その経験によって、適切なリスクアセスメントが行われ、十分な安全対策が講じられれば、遺伝子工学技術は安全に行使できるといえよう。

     遺伝子治療はある種の病気には日常的な治療法となることができ、遺伝子工学技術を用いて、遺伝子導入のための新しいベクターが開発される可能性がある。

     組換えDNA技術によって産み出されたトランスジェニック植物は現代の農業でますます重要な役割を果たすだろう。

     大腸菌K12株は健康な人間と動物の腸内に恒常的にコロニーを形成しない病原性のない株である。もし挿入された外来DNAを表現した生物がより高いバイオセーフティレベルの取り扱いを必要としなければ、日常的な遺伝子工学を用いた実験は大腸菌K12株で安全に遂行できる。

     特定の標的遺伝子を削除された動物(「ノックアウト」動物)は一般的には特別のバイオハザードは引き起こさない。(中略)もしトランスジェニック動物が実験室から逃げ出して、トランス遺伝子(動物に人為的に導入された遺伝子―筆者注)が野生生物の個体群に伝達されれば、理論的にはその特定のウィルスを保有する動物が発生する可能性があるだろう。(中略)このようなトランスジェニック・マウスの野生生物界への逃亡の結果としてポリオウィルスを保有する新しい動物が発生する可能性は非常に低い。

     各国はGMO(遺伝子組換え生物)を扱う作業のためのガイドラインを制定する国の所管当局を設置し、科学者による適切なバイオセーフティのレベルへの実験の分類を手助けすることができるだろう。

     リスクアセスメントは新しい開発と科学の進歩を考慮に入れている力動的な過程である。適切なリスクアセスメントを行えば、来るべき将来に組換えDNA技術の恩恵が人類に得られることは確実だろう。

 他方、組換えDNA技術が未完成であり、ハザードを発生させる可能性があるとの認識もある。以下がそれを示す記述である。

     遺伝子組換え生物に関連して発生する病原性を有する性質と潜在的なハザードは新奇のものであり、特徴が良く分かっていない。

     既存の病原性を有するか又は有しない特性の変更の結果として有害な影響が生じるかもしれない。普通の遺伝子の組換えによって病原性が変化するかもしれない。

 こうした認識があるにもかかわらず、「適切なリスクアセスメントが行われ、十分な安全対策が講じられれば、遺伝子工学技術は安全に行使できる」と断定するのは適切ではないと考えられる。

4.感染性物質の輸送

 改訂に際して加えられた事柄は、感染性物質の輸送は国内の規則と国際的規則に従って行われなければならないということである。国際的な規則とは、国連の「危険物の輸送に関する規則」である。ただし、これ自体はモデル法であり法的拘束力はないので、各国の所管当局によってこの規則が各国の国内の規則に取り入れられて、国際的な規則として制定されなければならない。しかし、国内法がない国においては、この国連のモデル法に従うべきであるとされている。最後に、感染性物質の国際的な輸送は各国の輸出入に関する法規に基づいて行われなければならないことが強調されている。

5.実験施設のバイオセキューリティ概念

 バイオセキューリティ概念の定義の前に、このガイドラインの第2版までの中心概念であったバイオセーフティ概念の内容が振り返られている。それによると、バイオセーフティ概念においては、「実験作業員が怪我をし、病気になる危険を最小限にするために、適正な微生物学的作業慣行の実践、適切な封じ込め設備、適正な施設設計・作業・保守点検ならびに厳重な管理」に焦点が当てられてきた。それによって、「環境と周辺の地域社会一般へのリスクも最小化されてきた。」

 しかし、最近の米国でのバイオテロの発生を機に、実験施設のバイオセキューリティ概念を導入する必要が生じたという。すなわち、「人々、家畜、農業又は環境を害する目的で実験施設とそれが保有する試料が意図的に危険にさらされることを防ぐ」ことが必要になったのである。

 バイオセーフティが病原体や毒素への非意図的な曝露や事故によるそれらの放出の防止を目的とするのに対し、バイオセキューリティは、「病原体や毒素の紛失、窃盗、悪用、転用または意図的な放出を防ぐために講じられる研究機関及び個人の安全対策を意味する。」

 バイオセキューリティの対策の具体的な内容としては、「病原体及び毒素の在庫管理、それらの生物物質を取り使うことのできる人物の指定、施設内及び施設間での生物物質の移動の文書化ならびに生物物質の不活化と廃棄処分」が挙げられている。また、バイオセキューリティ確保のための職員の訓練の必要も指摘されている。そして最後に実験施設のバイオセキューリティのための国の基準の制定の必要性が説かれている。

6.実験室・施設建設審査のためのガイドライン

 実験室・施設建設審査のためのガイドラインは、具体的な実験施設の構造の構成要素、システム及びシステムの構成要素が、設置され、点検され、構造上の検査を受け、国内および国際的な基準を満たすことが証明されたことを意味する組織的な審理と文書化過程として定義される。それゆえ、建設審査過程と合格基準は、早期に、すなわち望むらくは建設ないしは改築プロジェクトの準備段階期間中に設定されなければならない。さらに建設審査過程の意義は、建設審査過程によって、構造的、電気的、機械的ならびに配管上のシステム、封じ込め及び除染システムならびにセキューリティシステム及び警戒システムが、特定の実験施設及び動物施設で取り扱われている潜在的に危険な微生物の封じ込めを保証するために、設計されたとおりに作動するだろうという大きな安心感が当該研究機関と周辺の地域社会に与えられる点にある。

7.実験室・施設の認証のためのガイドライン

 今日の生物・医学系研究所と臨床治療のための実験施設(以下、バイオ施設と総称する)は、近年の新興・再興感染症の発生という事態の下、人々の健康を守るという本来の仕事の遂行において、すばやい対応をする必要に迫られている。このためすべてのバイオ施設は定期的に認証を受けなければならない。実験施設の認証は、実験施設内部におけるすべての安全対策(工学技術による安全対策、個人用の保護器具ならびに管理上の安全対策)の組織的な検査である。バイオセーフティ確保のための作業慣行や対策も検査される。実験施設の認証は定期的に行われるべき品質管理と安全確保のための活動である。認証を行うことができるのは十分な訓練を受けた健康と安全またはバイオセーフティに関する専門家である。

8.第2版との異同

(1)感染性微生物の危険度分類基準

 改定第3版の危険度分類は次の通りである。

 「危険度群1(個体及び地域社会に対する危険度が皆無または低度)

  危険度群2(個体に対する中等度の危険度、地域社会に対する低度の危険度)

  危険度群3(個体に対する高危険度、地域社会に対する低危険度)

  危険度群4(個体及び地域社会に対する高危険度)」

 第2版からの変更点は、危険度群1の「個体及び地域社会に対する危険度」が「皆無または極低度」から「皆無または低度」に変えられたことだけである。

(2)封じ込め実験室および高度封じ込め実験施設の規定

 「封じ込め実験室(BSL3)は、国またはその他の保健当局に登録または届出がなされていなければならない」こと、また「高度封じ込め実験施設―BSL4−の運営は、国またはその他の適当な保健当局の管理下に行わなければならない」という点は、第2版と変わらず強調されている。

(3)排気の拡散

 「(生物学用安全キャビネットからの排気以外の)実験室からの排気が建物の外部へ排出されるときには、その排気は人のいる建物と空気取入れ口から離れて拡散されなければならない」という封じ込め実験室の設計に関する規定は、第3版でも変更されていない。

(4)HEPAフィルターの捕集効率

 安全キャビネットに装着される「HEPAフィルターは直径0.3μmの粒子の99.97%を捕集し、それより大きいかまたは小さい粒子は99.99%捕集する」という記述からわかるように第3版でのHEPAフィルターの捕集効率の基準は99.97%である。これは、「安全キャビネット(そしてその他の微生物学的操作)に適したHEPAフィルターは、国の基準を満たさなければならず、理想的には10万個の微粒子を通した場合、3個より多くを透過させてはならない」という第2版の規定(HEPAフィルターの捕集効率の基準を99.997%に設定している)を緩和したものである。すなわち、フィルターの捕集効率は10分の1低下した基準に緩和されている。このような変更が行われたのは、当ガイドラインの執筆者がイギリス人からアメリカ人に変わったからであると思われる。というのは、ヨーロッパでのHEPAフィルターの捕集効率の基準が99.997%であるのに対して、アメリカでのそれは99.97%であるからである。

結論

 今回の改訂での大きな変更点は、以下のようにまとめられる。

 第1は、バイオセキューリティの概念が導入されたことによって、バイオ施設の厳重な警備体制が要求されたこと、第2は、組換えDNA技術に関する記述が加わったことによって、遺伝子組換え実験にもこのガイドラインが適用されなければならなくなったこと、第3は、実験施設の建設審査が義務付けられたことによって、施設の設置前に周辺環境に対する施設の危険な影響を排除する立地が求められたこと、第4は、HEAPフィルターの捕集効率は第2版より10分の1緩和されたことである。

 以上のように第3点における組換えDNAの安易な肯定的評価と第4点を除いては、今回の改訂版は適用範囲が拡大され、施設の立地にも配慮した規定を加えている点で評価できるであろう。

戻る