予研=感染研実験等差し止め請求東京高裁裁判

            判    決(要約)

 

口頭弁論終結日 平成15年7月15日

判 決

当事者 (略)

主     文

1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は,控訴人らの負担とする。

 

事 実 及 び 理 由
第1 控訴の趣旨
 1 原判決を取り消す。
 2 被控訴人は,国立感染症研究所をして,東京都新宿区戸山1丁目23番地所
  在の厚生労働省戸山研究庁舎(戸山庁舎)において原判決別紙2病原体等目録
  記載のレベル2以上の病原体等を保管,それらを使用しての実験(動物実験,
  遺伝子組換え実験を含む。)並びにそれに伴う排気,排水及び排煙等の同庁舎
  外への排出をしてはならない。
 3 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。
第2 事案の概要等

 1 (略)

2 「前提となる事実」「控訴人らの主張」及び「被控訴人の主張」
   次のとおり原判決を訂正し,当審における当事者双方の主張を付加するほか,
  原判決「事実及び理由」第二の二ないし四記載のとおりであるから,これを引
  用する。
(1) 原判決の訂正
  ア 原判決16頁7行目の「別紙1当事者目録」を「本判決別紙当事者目録」
   に改める。
  イ 同17頁3行目の「二一日に」の次に「前身の予防衛生研究所が設立さ
   れ,その後昭和27年8月30日に」を,同3,4行目の「基づき」の次
   に「国立予防衛生研究所として」をそれぞれ加える。
  ウ 同19頁4行目の「審査」を「検査」に,同8行目の「検定」を「検査」
   にそれぞれ改める。
  エ 同20頁8行目の「いた」の次に(乙5の5,弁論の全趣旨)を,同2
   8頁3行目の「した。」の次に行を改め「(乙5の4・6・9,6の1・
   3・6・10,弁論の全趣旨)」を,同29頁6行目の「された。」の次
   に行を改め,「(乙6の1・4・5・11,弁論の全趣旨)」をそれぞれ加
   える。
   同29頁7行目の「(4)」から同33頁9行目の「した。」までを削る。
 オ 同34頁1行目の「その専用部分」から同3行目の「増加し、」までを
  削り,同6行目の「いる」の次に「(乙2,弁論の全趣旨)」を加える。
   同34頁7行目「すなわち」から同36頁2行目末尾までを削る。
 カ 同36頁5行目の「科学」を「化学」に,同37頁4行目の「の診断、
  予防及び治療に関する」を「に関わる」に,同行目の「感染症」から同5
  行目の「動物等」までを「病原体等」に,同6行目の「専門家」を「専門」
  にそれぞれ改める。
   同38頁4行目の「いる。」の次に行を改め「(乙76)」を加える。
 キ 同95頁8行目,11行目,同99頁3行目の各「補足」を各「補捉」
  に改める。
(2)当審における当事者双方の主張(略)

第3 当裁判所の判断
 1  「本訴請求に係る訴えの適法性」及び「人格権に基づく差止請求」
   これについては,原判決第三の一,二に説示のとおりであるから,これを
   引用する。ただし,原判決252頁10行目末尾に,行を改めて以下を加え
   る。
  「 以上のとおり,本件において控訴人らは,一定レベル以上の病原体等(原
  判決別紙2病原体等目録記載の病原体等のうち,レベル2以上のもの)の
  保管の禁止,それらを使用しての実験(動物実験,遺伝子組換え実験を含
  む。),それに伴う排気,排水,排煙等の戸山庁舎外への排出の禁止を求
  めているものであるところ,違法な権利侵害ないし法益侵害が存するかど
  うか(いわゆる受忍限度)を判断するに当たっては,基本的にはこれまで
  の判例によって示されている判断基準に従うべきものであり,要するに控
  訴人らが主張する侵害行為の態様と侵害の程度,被侵害利益の性質と内容,
  侵害行為のもつ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を比較検討す
  るほか,侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況,その間に執られ
  た被害の防止に関する措置の有無及びその内容,効果等の事情をも考慮し,
  これらを総合的に考察してこれを決すべきものであると解するのが相当で
  ある。
   本件差止請求における特有な問題は,控訴人らにおいて,感染研の施設
  及びその運営そのものに周辺住民へ危害を発生させる危険性があるとし,
  病原体等・遺伝子組換えDNA実験等に伴って,病原体等,遺伝子組換え
  体,有害化学物質,発がん物質,放射性物質及び感染廃棄物等(これらを
  「病原体等」と総称することがある。)が戸山庁舎外の周辺地域に排気,
  排煙,排水,排出等され,又は漏出し(これらを「漏出等」と総称するこ
  とがある。),それよって控訴人らが感染(化学災害,バイオハザード,
  放射線災害等を含む。)する危険性があり,その生命,身体,健康等その
  もの及びこれらから派生する平穏な生活を営む利益を侵害し,又は侵害す
  る危険性が存すると主張していることにある。
   上記の有害物質のうち本件で特に問題とされているのは病原体等(上記
  の遺伝子組換え体以下を除く。)であるが,この病原体等とは,病原微生
  物(感染性をもつウイルス核酸,又は侵害する危険性プラスミドを含む。),
  寄生虫並びにこれらの産生する毒性物質,発がん性物質及びアレルゲン等
  生物学的相互作用を通じて人体に危害を及ぼす要因となるものをいうとさ
  れている。この病原体等は,その危険性の度合に応じてレベル1からレベ
  ル4までに分類されており,病原体等のバイオセーフティレベルの分類基
  準は,個体及び地域社会に対する低危険度(レベル1)のものから,個体
  ・地域社会に対する高い危険度(レベル4)のものまでが段階的に分類さ
  れている。そのうち,レベル2ないしレベル4までの病原体等をみても,
  その種類は多種多様であり,人に感染した場合の影響,予防法・治療法,
  我が国での常在性,感染経路等がそれぞれ異なっている。病原体等のうち
  で感染研における取扱い,保管の状況をみると,感染研においては,レベ
  ル1ないしレベル3までの病原体等を取り扱い,又は保管している。感染
  研の作成に係る資料(乙41)によれば,上記レベル2ないしレベル4ま
  での病原体等のうちで,感染研が「取扱あり」(戸山庁舎への移転後に取
  り扱ったもの),「保管」(上記移転後に取り扱っていないが,保管してい
  るもの),「取扱い・保管」としているものは,概ね,レベル2がそれぞ
  れ61,27,7,レベル3がそれぞれ7,3,0,レベル4がいずれも
  0(レベル4は一切取扱い,保管していない。)であるとされている。病
  原体等による感染の態様には,空気感染(空気中に浮遊する感染性エアロ
  ゾルを吸い込んで感染するもの),飛沫感染(至近距離の咳等で唾液等が
  かかって感染するもの),接触感染(皮膚傷口,粘膜等を介して感染する
  もの),経口感染(汚染された水,食物等が口に入って感染するもの)が
  あるとされている。
  (乙41,70)
   本件において控訴人らが主張している要旨は,上記のとおり,感染研(戸
  山庁舎)の施設及び運営自体に存する危険性等が原因となって,戸山庁舎
  から病原体等が排出,漏出等されて,それが周辺地域に居住等している控
  訴人らに感染し,その生命,身体,健康等そのもの及びこれらから派生す
  る平穏な生活を営む利益を侵害し又は侵害する危険性が存するというもの
  であって,特に生命,身体,健康等に関しては,単なる睡眠妨害,会話・
  電話による通話,テレビの聴取に対する妨害及びこれらの悪循環による精
  神的苦痛等のいわゆる生活妨害の範疇にとどまる自動車騒音等による被害
  とは,その被侵害利益の性質,内容が本質的に異なっており,生命,身体,
  健康等という人間の生存にとってかけがえのない極めて重大な利益が対象
  とされている。また,控訴人らが主張している侵害行為は,被控訴人の設
  置に係る感染研(戸山庁舎)の保有する病原体等が外部周辺地域へ現に排
  出,漏出等されており,ないしはその可能性があるというものであって,
  ひとたび病原体等が外部に排出,漏出等されるような事態が発生すれば,
  その病原体等の病原性,感染力,漏出量及び伝播の範囲等の条件如何によ
  っては,最悪の場合には回復が事実上極めて困難な甚大な被害を招来する
  危険性があることは何人も否定することができないであろう。したがって,
  本件において差止請求が認められるか否か(受忍限度の範囲内か否か)を
  判断するに当たっては,特に上記のような本件に特有な問題について十分
  に配慮する必要がある。その上で,仮に上記侵害行為によって控訴人らの
  生命,身体,健康等に対して現に病原体等による感染の危険性という具体
  的な危険性が生じていることが明らかにされたときには,その事柄の重大
  性,深刻性及び緊急性にかんがみ,上記違法性の判断枠組みのうちの他の
  考慮要素は相対的に重要度が低いものとの評価を受け,当該侵害行為は違
  法性を有するものとして差し止められるべきものであると解するのが相当
  である。これに対して,控訴人らの生命,身体,健康等に対する具体的な
  危険性が生じているとはいえず,単に抽象的,一般的な危険性が存するに
  とどまるときには,上記受忍限度論の判断基準に従って受忍限度の範囲内
  にあるか否かを決定すべきであると考える。」

 

2 感染研の概況(略)

 

3 感染研における安全対策に実績(略)

 

4 控訴人らが主張する危険性について
 (1) はじめに(略)

イ 病原体等は,感染微生物,寄生虫及びその産生する毒性物質,発がん性
  物質,アレルゲン等の生物学的相互作用を通じて危害を及ぼすものであっ
  て,個体及び地域社会に及ぼす危険度は,その病原性,治療法,予防法,
  伝播可能性等よって異なっており,バイオセーフティレベルの分類基準に
  よればレベル1から4までに区分されており,極めて多種多様なものが包
  含されている。しかも,病原体等が現に漏出等しているか否かを正確に確
  認することは,現代の最先端の科学技術をもってしても極めて困難である
  と考えられる上,病原体等の中には,病原性,伝播性が強いものもあり,
  仮に感染しても,一定期間発病しない病気もあるし,今日においても未確
  認の病原体等がなお存在することも考えられる。また,組換えDNA実験
  については,未解明の分野であるだけに課題も多い。感染研作成に係る「病
  原体等が人に感染した場合の生命に対する影響」(乙41)によっても,
  各病原体等によって,生命・身体・健康等への影響,予防・治療法,常在
  性,感染経路(空気感染,飛沫感染,経口感染)はそれぞれ異なっており,
  漏出等及び感染の予防が非常に難しい問題であることを窺わせるものであ
  る。それだけに,被控訴人,とりわけ感染研においては,病原体等が漏出
  等しないよう,現代の最新の科学的知見に基づく安全管理体制の構築とそ
  の見直し作業が強く求められている。そして,適正,円滑に安全管理業務
  を遂行するためには,その実情を地域住民を始めとする国民一般に広く情
  報公開等して,その理解と協力を得ることが最も重要であると考えられる。
  控訴人らの上記主張は,このような意味において重みのある指摘であり,
  傾聴に値するものである。
   しかしながら,控訴人らの主張する点については,感染研における安全
  管理体制が適正,円滑に行われる限り解決することが可能であって,いず
  れも行政施策の問題であるということができる。これに対して,本件差止
  請求は,司法上の救済を求めているものであるから,法律上差止請求が認
  められるための要件は何かについて検討しなければならない。
   本件差止請求が肯定されるためには,上記のとおり控訴人らの受忍の限
  度を超えていることが必要であるところ,病原体等が現に外部の周辺地域
  に排出,漏出等されており,あるいはその可能性があり,それによって周
  辺地域に居住等している控訴人らに感染してその生命,身体,健康等を侵
  害する具体的な危険性が発生している場合には,受忍限度を判断する上で
  の公共性等の他の要素の比重が相対的に低くなり,受忍限度を超えるもの
  と判断すると解するのが相当である。バイオハザードに控訴人ら主張のよ
  うな性質,特徴等があるとしても,それはその一般的,抽象的危険性を指
  摘するものではあっても,そのこと自体から直ちに控訴人らに対する危険
  性が現実化しているとすることはできないから,そのことのみによっては
  本件差止請求を肯定することはできないのであり,控訴人ら主張の予防原
  則は行政施策としては尊重すべきであるとしても,本件差止請求の成否を
  判断する際の原則になるものではない。上記検討のとおり,病原体等はそ
  れ自体において危険性を有するものであるが,問題はその被害発生をいか
  に防止するかにかかっているものであるところ,感染研における研究活動
  等によって,病原体等が排出,漏出等されており、あるいはその可能性が
  あり,それによって控訴人らの生命,身体,健康等を侵害する具体的な危
  険性があると認めることはできないといわざるを得ないのである。
   控訴人らは,バイオテクノロジーの危険を繰り返し主張し,この分野の
  研究過程の一つとして行われてきている組換えDNA実験により生み出さ
  れるものについての危険を強調し,専門家もその旨を指摘しているとして,
  それに沿う証拠を提出している(甲459中の本庄重男「バイオテクノロ
  ジーがもたらす負の影響」,原審原告芝田等)。これらは,いずれも組換
  えDNA食晶等のバイオテクノロジーにより生み出されるものの危険性を
  訴えているものである。組換えDNA実験が最先端の科学技術に属し未知
  の分野が多々あるとしても,人類の生命,食糧,環境等に関わる重要な基
  礎的技術の一つとして今世紀における高度の有用性は世界的に承認されて
  いるところである。感染研においては,その安全対策は,組換えDNA実
  験指針,大学等の研究機関等における組換えDNA実験指針,組換えDN
  A実験実施規則に則って行っていることは上記のとおりである。したがっ
  て,組換えDNA実験が上記指針等に従って適正に行われている限り,そ
  れによって直ちに控訴人らの生命,身体,健康等に具体的な危険性をもた
  らすとまでは認められない。
 ウ 上記認定を踏まえて,感染研の研究活動等に伴い,控訴人らの主張する
  病原体等の排出,漏出等ないしはその可能性があるか否か,また,その結
  果として,感染研の研究活動等により控訴人らの生命,身体,健康等が侵
  害される具体的な危険性があると認められるか否かについて,更に個別に
  検討を加えることとする。
(2) 感染研の設備について
 ア 戸山庁舎で使用される設備
  (ア) HEPAフィルターについて
  @ 控訴人らは,被控訴人がHEPAフィルターによって病原体等を9
   9.97パーセント以上(安全キャビネットに使用されるものでは9
   9.99パーセント以上)除去することができるとしていることに疑
  問があるとし,仮にそのとおりの除去効果があるとしても,実験に用
  いられる病原体等の個数は無限大に近いから,その99.999パー
  セントを捕捉できても,結局,無限大に近い数の病原体等が漏出等す
  ることになるから,HEPAフィルターを通過した排気等であるとし
  てもなお危険であると主張する。
   しかしながら,まず,P3実験室においては,HEPAフィルター
  を実験室の吸気口,安全キャビネット・実験室天井の各排気口に設置
  し,さらにダクトにも設置しており,排気は,安全キャビネットの排
  気用HEPAフィルターを経てダクト内に流れるものと,各実験室天
  井のHEPAフィルターを経てダクト内に流れるものがあり,それら
  が合流してダクト内のHEPAフィルターで更に捕集処理された上
  で,屋上排気口から放出される仕組みになっている(乙15の20)。
  ちなみに,改訂WHO指針では,実験室からの排気は,高性能粒子含
  有空気(HEPA)用フィルターを通して排出することが望ましい,
  HEPAフィルターを通して排出されるクラスT又はクラスUの安全
  キャビネットからの排気は,直接又は建物のシステムを通して外に排
  出しなければならない,この場合は,安全キャビネット又は建物の排
  気システムの空気バランスが狂うことのないように連結して排気しな
  ければならないと定めており(乙47),戸山庁舎の上記捕集処理は,
  この改訂WHO指針よりも優れているということができる。HEPA
  フィルターは,間隙の多い繊維層からなっており,慣性・拡散効果等
  の複数の捕集原理を利用して,HEPAフィルター内の個々の繊維で
  粒子を捕捉する。気流に乗って接近してきたエアロゾルが,その慣性
  によって気流から外れ,繊維に衝突して捕捉され,この場合は粒径が
  大きいほど捕集効率が高くなる。また,小さい粒径のエアロゾルはブ
  ラウン運動によって高濃度から低濃度に向かって拡散する性質があ
  り,HEPAフィルターの繊維表面付近の粒子濃度が零になることか
  ら,これによって繊維に接触して捕捉され,この場合は粒径が小さい
  ほど捕集効率が高くなるとされる。捕捉しにくい大きさの粒子(0.
  3μm)でも99.97パーセント(安全キャビネットに設置したH
  EPAフィルターについては99.99パーセント)以上捕捉し得る
  高い性能を有しており,ほぼ完全な捕集が期待できるものと評価して
  差し支えないから,それよりも大きい粒子の捕集効率がそれよりも低
  率になることは考えられない。
   証拠(乙151,153,154)によれば,平成14年11月,
  P3実験室の安全キャビネットに設置しているHEPAフィルターに
  つき,DOP粒子を使用して行った検査結果によれば,99.99パ
  ーセントの捕集効果を有していること,一次HEPAフィルターにつ
  いてされた検査結果は,いずれの測定地点における捕集効率が99.
  97パーセントを超えていたこと,また,二次HEPAフィルターに
  ついても,平成12年度,14年度の検査結果は,いずれも捕集効率
  が99.99パーセント以上であったことが認められる。
   これに,感染研における病原体等,組換えDNA実験,有害化学物
  質及び廃棄物等に関する取扱い及び安全キャビネットの定期検査,H
  EPAフィルター性能試験等の安全管理対策の運用状況に照らせば,
  控訴人らが主張するように高度の性能を有するHEPAフィルターを
  使用しても(特に,P3実験室には,実験室天井部分ないし安全キャ
  ビネットの一次HEPAフィルターとダクト部分の二次HEPAフィ
  ルターが二重に設置されている。),なお病原体等が実際に排出,漏
  出等し,又はその可能性があるものと認めることは困難であり,した
  がって,漏出等によって控訴人らが感染する具体的な危険性があると
  は認められない。他に控訴人らの主張を裏付けるに足りる証拠はない。
   控訴人らは,エアロゾルは空気の流れのまにまに漂っているのであ
  って,空気の流れに守られて捕捉しにくくなり,更に大きくなれば再
  び捕捉され易くなる,被控訴人は,捕捉効率の良い0.3μmない
  し0.5μmのエアロゾルについての性能を評価し,捕集効率の悪い
  部分については評価しないで切り捨てている,HEPAフィルターの
  使用によりすべてのエアロゾルが事実上除去できるとはいえない,H
  EPAフィルターは,細菌より小さな粒子のファージは通過し,ファ
  ージより小さなウイルスは通過する可能性があり,HEPAフィルタ
  ーの有効性能は確認されていないなどと主張する。
   乙第153号証の「平成12年度国立感染症研究所・バイオセーフ
  ティ施設フィルター交換作業報告書」の,実験室(4)の測定位置18及
  び19の一次HEPAフィルターに関する資料によれば,1μm前後
  の粒子の捕集効率が悪くなること,検査測定を3回行っているところ,
  残留塵埃粒子を誘因したのであれば,測定毎にフィルターを通過した
  気体が優勢となり,残留塵埃粒子は次第に減少してしかるべきである
  と考えられるが,検査結果によると,残留粒子は0.3ないし0.5
  μm粒子の増加とともに増加する傾向にあることが認められる。
   しかしながら,控訴人らが主張する,エアロゾルは空気の流れのま
  にまに漂っているのであって,空気の流れに守られて捕捉しにくくな
  り,更に多くなれば捕捉され易くなるという点については,上記のエ
  アロゾルに関する捕集原理(慣性,衝突,拡散の三原理によって粒子
  が捕捉されるもの)とは異なる独自の見解である上,HEPAフィル
  ターについては,従来から最も捕集しにくいとされている粒径は0.
  1μm前後あるいは0.08μm(乙25,69)と考えられてい
  ることに照らしても,上記控訴人らの主張は,合理的な根拠に基づか
  ないものといわざるを得ない。また,控訴人らが指摘する検査結果は,
  他の測定位置,例えば実験室(1)の測定位置3や実験室(6)の測定位置2
  3については,控訴人らの主張とは異なる傾向を示しており(乙15
  3),平成13年度の現場実験結果における実験室(3)の測定位置13
  のデータによれば,粒径0.8μmあたりの粒径の捕捉効率が低く
  なるところがあると推定されており,必ずしも粒径が一定していない。
  平成14年11月の現場試験の前までは,パーティクルカウンターに
  接続するフレキシブルチューブを,ダクトに設置された防火ダンパー
  用の点検口からHEPAフィルターの下流約1メートル付近まで差し
  込んで測定しており,フレキシブルチューブの先端がHEPAフィル
  ターの下流側約1メートル付近に来るように調整して測定していた。
  しかし,より正確なデータを収集するため,平成14年11月の現場
  試験においては,HEPAフィルターの設置箇所にDOP検査用の測
  定口を設置し,HEPAフィルターの下流側約10センチメートルの
  位置で測定する方法に改めた。その結果,平成12年度の現場試験結
  果に比較して,全体的に粒子の捕捉数が減少しており(乙154),
  ここで採用されている測定方法は,測定口付近の空間における空気中
  の粒子を測定するものであって,この空間における空気のすべてがH
  EPAフィルターを通過した空気ではなく,ダクト内の塵埃を零にす
  ることはできない(乙155)。これらのことからすると,従前の現
  場試験において顕出された0.5μmを超える粒子は,HEPAフ
  ィルター下流側のダクト部分から吸引した塵埃である可能性を否定す
  ることができない。控訴人らは,実験室(6)の測定位置23においては,
  3回の測定でいずれの粒径も正比例に近い形で減少していることか
  ら,これらの粒子は,フィルターを通ったものであり,ダクト部分で
  吸引した塵埃ではないと主張するが,この主張は,ダクト内の塵埃が
  一定量であることを前提にするところ,このような前提が成立すると
  認めるに足りる証拠はなく,また,この結果のみをもってそのように
  判断することはできない。以上に照らすと,上記の試験結果は,エア
  ロゾルに関する控訴人らの主張を裏付けるものと評価することはでき
  ない。
   控訴人らは,HEPAフィルターからの漏出率が0.03パーセン
  トであるとしても,1分間に700ないし14個の病原体等が漏出し,
  実際に感染研が取り扱っている病原体等の漏出量は更に多くなり,病
  原体等の総数量は年間約720ミリリットルに達し,これに細胞感染
  実験,動物感染実験による感染動物体内での増殖等を考えると,漏出
  する病原体等の数値は更に多くなると主張する。
   しかしながら,控訴人らの主張は,その前提として感染研において
  取り扱う病原体等の全培養量が1年問で使用され,病原体等のすべて
  がエアロゾル感染の可能性を有し,かつ,すべての実験でエアロゾル
  が必ず発生するものと措定しているものであるところ,感染研におい
  て年間約720ミリリットルもの病原体等を使用していることを認め
  るに足る証拠はなく,控訴人らが前提としている高濃度の病原体等が
  含まれる液を使用していることを認めるに足りる証拠もない。感染研
  が実験に使用する病原体等は,その保管しているものの一部であり,
  菌濃度が1ミリリットル当たり10の10乗という高濃度の病原体等
  液を使用していると認めるに足りる証拠もない。。各病原体等によっ
  てヒトに対する病原性の程度,感染経路等が異なり,また,すべての
  病原体等がエアロゾル感染の可能性を有するものではない。感染研が
  扱う病原体等のうちエアロゾル感染の可能性があるのは,化膿レンサ
  球菌のみであり,これは事前に塩酸処理されるから,実験時には生菌
  は存在しない(乙41,94)。しかも,病原体等はその性質に応じ
  て,所定の段階で一定時間の加熱滅菌処理等の化学的処置を施すこと
  によって完全に死滅,不活化させており,それによって生菌を含むエ
  アロゾルはほぼ存在しなくなると考えられる。さらに,エアロゾル化
  率(取り扱った微生物のうち,何個がエアロゾル化して空気中に液出
  するかを示す率)についてみると,代表的な実験操作である,超音波
  処理,ブレンダー,液滴を落とす,ピペットによる混和,遠心器ロー
  ターの汚染,Vortex ミキサー,浮遊液を入れた瓶を振とうする,
  凍結乾燥アンプルを折る,乾燥した試料を別の試験管に移す,試験管
  の綿栓を外す,白金耳を火炎に挿入するといった方法を比較すると,
  エアロゾル化率はそれぞれの方法によって異なり,特に Vortex
  ミキサーの場合にはエアロゾル化率は零となっているし,発生しない
  に等しい実験操作方法も存在するのである。そして,現在は,病原体
  等の操作には,ピペットは使用しておらず,容ねじ(スクリューキャ
  ップ)付きのサンプリングチューブを使ってミキサーにかけて攪拌し
  ている( Vortex ミキサーによる方法)から,エアロゾル化率は
  零か極めて低いことになる(甲186)。しかも,エアロゾル粒子の
  うち感染性がある粒径は一定の大きさに限られており,感染するには
  一定以上の量が必要であって微量では感染しないとされており,病原
  体の個数のみから感染性が定まるものではないのである(乙23,7
  8)。その上,P3実験室については,上記のとおり二重のHEPA
  フィルターを設置し,病原体等が感染性を保っているのは一定の期間
  内に限られており,また,実験室内は滅菌処理しているほか,上記の
  とおりの安全管理を行っているのである。
   このようにみてくると,感染研戸山庁舎において病原体等が外部の
  周辺地域に現に排出,漏出等しており,又はその可能性があり,それ
  によって控訴人らに感染する具体的な危険性があると認めることは困
  難であって,控訴人らの主張は漠然たる抽象的な危険性をいうものに
  過ぎず,科学的根拠を欠くものであるといわざるを得ない。病原体等
  が外部に排出,漏出等する可能性があることを科学的には完全に否定
  することができないとしても,その漏出等の数量は僅かであり,それ
  が更に紫外線によって不活化されること等を考慮すると,漏出等した
  病原体等によって控訴人らが感染する具体的な危険性があるとまでは
  いうことができない。
   したがって,控訴人らの上記主張は採用することができない。
 A 控訴人らは,HEPAフィルターには欠陥品が多く,同フィルター
  の使用により十分な性能を有しなくなる,規格に従った検査をしてい
  ない,規格を遵守していないなどにより病原体等が漏出等する可能性
  があると主張し,検査済みのHEPAフィルターでも多数の欠陥があ
  るとする報告書(甲330)を提出している。
   しかしながら,上記のとおり,感染研では,HEPAフィルターの
  設置時及びその後の定期又は臨時の検査の都度,HEPAフィルター
  について検査をして常に性能の保持を図っている。上記のとおりDO
  P粒子を使用した検査結果(平成14年度の安全キャビネットについ
  ては乙151,その他については乙154)によっても,その性能が
  保持されていることが認められ,他にHEPAフィルターの性能に欠
  陥があることから病原体等が漏出等したり,その可能性があると認め
  るに足りる証拠はないから,控訴人らの上記主張は採用することがで
  きない。

     (イ)滅菌処理装置(略)

  イ 戸山庁舎の立地及び配置について(略)

ウ 戸山庁舎の耐震性
(ア)控訴人らは,戸山庁舎が,「87標準」を受けて平成8年に策定さ
  れた「96基準」を満たしておらず,建築物として危険であると主張
  する。
   しかしながら,仮に「96基準」に合致していない部分があるとして
  も,同基準に合致しないとする構造が,いかなる内容,程度において合
  致しておらず,それによってどのような影響を及ぼすのかが明らかにさ
  れない限り,戸山庁舎から病原体等が漏出等し,あるいは漏出等する可
  能性があり,その結果控訴人らが感染する具体的な危険性があると認め
  ることはできない。戸山庁舎においては,上記のとおり大地震等の災害
  発生に備えた対策が講じられているのであるから,控訴人らにおいては,
  それにもかかわらず,戸山庁舎における感染研の研究活動に伴って病原
  体等が漏出等して感染する具体的な危険性があることを個別的に立証す
  る必要があるものと解するのが相当である。
(イ)…しかしながら,戸山庁舎は,「87標準」に基づいて設計,建設さ
  れた官庁施設であるところ,「96基準」に基づいて構造計算を行い,
  構造体の耐震安全性について確認した結果,「96基準」における構
  造体の耐震安全性の分類によるT類(大地震後,構造体の補修をする
  ことなく建築物を使用できることを目標とし,人命の安全確保に加え
  て十分な機能確保が図られるもの)に該当し,その重要度計数は1.
  5とされ,必要保有水平耐力に対する保有水平耐力の割合は慨ね基準
  値を上回っていることが明らかになった。そうすると,「96基準」
  に基づいて戸山庁舎の耐震診断をしていなかったこと,改修工事がさ
  れていないことは,耐震安全性の観点からは何ら問題がない上,耐震
  診断等がされていないことが原因となって病原体等が漏出等し,控訴
  人らに感染する具体的な危険性があると認められるわけではないか
  ら,控訴人らの上記主張は理由がない。

 

エ 建築基準法違反

 (3)感染研の運用における危険性

    ア 病原体等安全管理規程

    イ WHO指針違反

    ウ 査察報告書

    エ その他の法律違反

  ()環境影響評価義務について

   ()人為ミス及び施設トラブルについて

    ア 人為ミスについて

    イ 所内査察結果について

    ウ 保有病原体について

    エ 実験動物使用実績について

    オ 昆虫、ダニの飼育について

    カ 施設トラブルについて

 

 本件差止請求について
   本件において控訴人らが主張しているところは,感染研(戸山庁舎)が取り
  扱い,又は保管している病原体等が,戸山庁舎の設備・機器等の欠陥・不備,
  安全確保のための運営管理体制の不備等の様々な原因によって,庁舎外の周辺
  地域に排出,漏出等しており,又は排出,漏出等するおそれがあり,それが控
  訴人らに感染して,その生命,身体,健康等及びこれらから派生する平穏な生
  活を営む利益を侵害し,又は侵害する危険性が存するというものであるところ,
  上記において,感染研が取り扱い,又は保管している病原体等,基本的な設備
  機器,P3・P2・RI・実験動物等に係る施設・区域,有害化学物質の取扱
  い,P3・P2・RI・組換えDNA実験・有害化学物質・廃棄物等について
  の運営面における安全確保体制,地震等災害発生時の緊急体制,さらに,戸山
  庁舎の耐震性,建築基準法その他の法令・WHO指針等との関係等について検
  討してきた。それによれば,控訴人らが主張するような設備・機器等の欠陥や
  安全管理体制の不備等は特段認められず,また,それが原因となって病原体等
  が周辺地域に排出,漏出等し,又はそのおそれがあり,それによって控訴人ら
  が感染する具体的な危険性があるとまでは認められず,単に抽象的,一般的な
  危険性が存するにとどまるものであるという結論に達したものである。
   しかし,このように抽象的,一般的な危険性にとどまるものであるとしても,
  繰り返し述べているように,ひとたび病原体等が外部に漏出等するような事態
  が発生すれば,最悪の場合には回復が事実上極めて困難な甚大な被害が惹起さ
  れる危険性があるから,感染研においては,病原体等の漏出等による感染の具
  体的な危険性が絶対に発生しないように,あらゆる万全の施策を講じてこれを
  未然に防止しなければならず,平素からこれを確実に実践するように努めるべ
  きことはいうまでもない。
   当裁判所としては,このような観点から,感染研に対し,諸設備・機器の厳
  格な点検実施,最新の設備・機器の設置・更新,徹底した安全管理体制の構築
  及び適宜の見直し等,安全確保のための諸施策の遵守と実践を改めて強く要請
  するものである。
   以上を前提とした上で,感染研が担っている各種の医学的研究,国家検定,
  国家検査,WHO関係業務等の広範かつ高度に専門的な衛生行政の公共性及び
  公益性,並びに,これまでにみてきた受忍限度の判断基準に関連する諸事情を
  総合的に考察すれば,控訴人らに対する上記の危険性は,なお受忍限度の範囲
  内にあり,したがって,本件差止請求は認めることができないといわざるを得
  ない。なお,控訴人らは,上記控訴人らの当審における主張として掲げた点以
  外にもあると主張しているが,いずれも上記認定,判断を左右するものではな
  い。
 6  よって,控訴人らの請求は理由がないから,いずれも棄却すべきものとし   

た原判決は相当であり,本件控訴は理由がないから,いずれも棄却することと

して,主文のとおり判決する。

    東京高等裁判所第11民事部